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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

百舌鳥 と呼ばれた人々 ②




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JR阪和線の 百舌鳥駅で降りました

路をはさんで 左に大仙公園 園内に 堺市博物館があります

右手には 〈百舌鳥古墳群〉の中で 最大の大きさを誇る

前方後円墳 〈大仙陵古墳〉があります


実は 被葬者は定かではないのとされています

宮内庁は 《仁徳天皇百舌鳥耳原中陵〉として 治定しています




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拝所



5世紀前半から 築造されたといわれています

10年前までは 仁徳天皇陵として 教科書に載っていたのですが

今の教科書には 仁徳天皇の名前はありません

いつ頃 できたものなのかが 考古学的に証明できないからだそうです

調査すればいいものなのに 宮内庁が 蓋をしています

立ち入り禁止です。



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陵墓としての大きさは ピラミッドや始皇帝陵よりも大きく

世界一だそうです

全長485メートル 円形部の高さ36メートル、

方形部の高さ34メ-トル 三重の濠をめぐらし

その広さは 46万4千平方メートル

築造当時の復原形状の土量は140万5866立方メートル

10トントラック27万台分に当たるそうです

2000人の人が働いても 15年はかかっただろうと言われています



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百舌鳥(もず) と呼ばれた 陵墓築造集団は

土木技術 と 鉄製造技術 を併せ持った 渡来人達でした

この大集団を動かした 力の源は 何だったのでしょうか

何のために これほどの墳墓を作らなければいけなかったのか

謎は 消されていった 歴史の影なのでしょうか

ここに(畿内) から この国の王朝が始まったと見せかけるために

後世の権力が 描いた 強大な カモフラージュ だったとも思えます



百舌鳥と呼ばれ 土師氏 と呼ばれた 人々が

かつての 大王(おおきみ)を偲んだ


哀しみと 歓びの 叫び声が

この丘のあちらこちらに 染み付いています




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百舌鳥八幡宮





陵墓から東へ二キロ程歩いたでしょうか

樹齢800年の巨大クスノキに囲まれた 鎮守の杜を見つけました

《百舌鳥八幡宮》

一万坪の広い境内は 古来 この丘に住む 墓守の民の魂が眠っています

平安後期には 京都石清水八幡宮の別宮とされています

南北朝の頃の 新葉和歌集には この宮を歌った歌がありました


《 民安く 国治まれと祈るかな 人の世よりも わが君の為 》

探勝親王








創建は 古く 6世紀の中頃とされています

八幡宮は後の世の 合祀とみていいでしょう

三霊社という名前で 古の祭神が 隠れておられました

正面鳥居のてまえの池の中に


水天宮(天御中主)が祀られていました



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その横に 弁財天(市杵島姫)が祀られています


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鳥居の横には 稲荷社も ありました


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九州王朝を 支えた 主(ぬし)の神々 です

まぎれもなく この百舌鳥野の丘は

九州王朝 最後の天皇といわれる 仁徳天皇のそばで

主(ぬし)の神々と 主の民 (百舌鳥氏・土師氏) が

寄り添うように 生きておられた 場所だったようです






by nonkei7332 | 2016-11-30 20:18 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ