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《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

百舌鳥 と 呼ばれた人々 ①



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百舌鳥





〈百舌鳥〉と書いて もず と読みます

『モズが枯木で鳴いている』という 唄がありましたね

あれは唱歌だったのでしょうか 反戦歌だったのでしょうか

百舌鳥は いろんな鳥の鳴き真似をするそうです

だから 百も 舌を持ってる鳥で モズ というそうです

モズ は〈はやにえ〉という習性をもっています

捕獲した昆虫などを 枝に刺して 保存します

子供の頃 近くの藪の中で 枝に刺さった 干からびたカエルを

何度も見たことがあります あれは モズの仕業だったのです

クチバシは 鷹のようです 見た目より獰猛な鳥なのでしょう

秋も深まると 縄張りを争う モズの甲高い声が聞こえて来ます

〈モズの高鳴き〉といいます








さて 古代において 百舌鳥と呼ばれた氏族がいたというのが

今回のテーマなのです

そっくり それが 地名として残っている所があります

大阪 の泉州国 堺市です 地下鉄御堂筋線の終点 〈なかもず〉でしたね

堺市には 百舌鳥○○町という町名が今も多くあります

ここは 有名な 仁徳天皇陵 をはじめ 多くの 天皇陵を抱える

百舌鳥古墳群・古市古墳群 があります いわゆる 陵墓の町なのです

ほとんどの陵墓は 畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉)にあります

例外は 75代の崇徳天皇陵は香川県坂出市

そして 81代の安徳天皇陵の山口県下関市 だけです

全ての 陵墓は 宮内庁管轄ですので 聖域にされています

触れてはいけないものとして 蓋をされています

封建社会でもない 民主主義の 現在でも まるで

明かされると まずい事でも あるのでしょうか

まったくの 時代錯誤 です



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仁徳天皇陵



話を 古代に戻します

途轍もないも大きさの 陵墓を作った人々がいました

百舌鳥 と呼ばれた人々でした 鳥をトーテムとした氏族です

古墳造営や葬送儀礼に関わり 土木技術を持ち 鍛治の技術をも

兼ね備えた 渡来氏族だったのです

一般には 土師氏 (はじし) と呼ばれている謎の氏族です

書記の中では 土師氏の出自は 出雲です

神話に出てくる 天穂日命(アメノホヒ)の14世である 野見宿禰 が

垂仁天皇の頃に それまで行われていた 殉死の 風習に代わる

埴輪の制を案出した功績により 土師氏 と呼ばれたとされています




出雲は九州だった


大国主も事代主も 倭国王 大幡主の下で

九州王朝を支えたという 百嶋考古学 をベースに

百舌鳥 という 氏族を追って見ます



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土師老松神社



香春町の古い史跡図に 〈百舌鳥原金山跡〉という名前がありました

香春町 田川市 飯塚市 桂川町 という 遠賀川流域には

百舌鳥氏 こと 土師氏 の里があったようです

上流の桂川町に 《土師老松神社》という神社があります

古くは 桂川一帯は 土師郷 といい この宮は〈土師宮〉と呼ばれていました

その後 土師氏の子孫とされる 菅原道真を合祀して老松神社 と名を変え

土師庄十二ヶ村の 総鎮守として隆盛を極めた 古宮です

祭神は 大国主命・大物主神・事代主命・菅原道真 です

主(ぬし)の神の勢揃いです 土師氏とは 出雲繋がりでしょうか


神社の由緒をみてみると


《 人皇11代垂仁天皇の時 出雲の國の造 野見宿禰が 埴輪を造りて 

殉死の者の代わりにしたという功を賞して 土師臣の姓を賜い 

又諸国に於て鍛地(かじち)を賜うや 当庄をも其の一つに加え

宿禰に与えられた されば出雲より 土師連来たりて当庄を住み

出雲杵築の大社に鎮座の大国主命(大己貴命)を神代の時 

暫くこの地に 勧請して 土師宮と称し齊き祀る 

これ当社の始まりなりと。》




土師氏の祖である 〈野見宿禰〉を追いかけて見ます

垂仁天皇の頃 埴輪の神 相撲の神 として 称えられていますが

古事記には 天穂日命の子は 武夷鳥命(たけひなどり)だと書かれています

この 武夷鳥命(たけひなどり) こそが 野見宿禰 なのです


百嶋説では アメノホヒ は 豊玉彦(ヤタガラス) だとしますので


豊玉彦(ヤタガラス) → 野見宿禰(タケヒナドリ) → 土師氏(モズ)


よく見ると ひとつのトーテムで 繋がっているのがわかります

それは 鳥(とり) です


八咫烏(ヤタガラス) → 武夷鳥(タケヒナドリ) → 百舌鳥(モズ)


百舌鳥と呼ばれた人々は

主(ぬし)の血を引く 豊玉彦の手足となって

九州王朝を支える 技術者集団 だったのでした

やがて 九州王朝が滅び 畿内へと 権力が移っていきます

百舌鳥と呼ばれた人々の苦悩がここから始まったようです



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私 は 明日 泉州に行きます

ちょっと 寒くなってきました






by nonkei7332 | 2016-11-23 17:58 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ