草摘む 日々
人々が ゴールデンウイーク で 若葉の季節を楽しむ頃
去年から 私の日々は 野草と向き合う 草摘みの日々となりました
一日一時間 という草摘みは
私にとっては 大切な 時間になったのです
私に 『草摘みの呪術』という
こんな 私にもできる 願事成就の方法を教えてくれたのは
文字学者の 白川 静 先生 です
白川さんは 哲学者の梅原猛さんとの対談
『 呪の思想 ー 神と人との間 』
の中でこう話されています
わが国でも 草を摘む時に
そこらを囲ってね 標(しめ)を結うてしますでしょ。
《 明日よりは春菜採まむと標めし野に昨日も今日も雪はふりつつ 》
万葉集巻8-1447
などというのはね、
春の野で草を摘むのに、わざわざこの場所というて区切るわけですね。
草摘むのに区切る必要は何もないんだけどもね、
「昨日も今日も雪は降りつつ」、少々雪が降っても、
野草ぐらい摘めるはずなのにね、なぜ草を摘まんのかおかしいですね。
それは その草摘みがね、この特定の場所の、この草を一時間の内に
この籠にいっぱいきちんと摘みますよという、
神さまに誓いを立ててね
野草摘みをやるんです。それは「誓約」(うけい)です。
だから それに成功すれば、自分の願い事がかなう訳です。
そういう神さまとの約束事をした上で草摘みをする。
だから 草摘みというのは、単にそこらで野遊びをするのではなく
願い事があって、これをやりますから やり遂げたら
願い事聞いて下さいというような、
そういう意味で草摘みをやるんです。
私の願い事とは 子供達の交通安全 と 無事故です
近所の草摘みと 子供達の登校路の 草摘みは
環境美化だけが 目的ではなく
私と神との 〈誓約〉 願事成就の仕草なのです
今日は 「こどもの日」
明日は雨が降るというから
一袋 多めに 草を摘みました
遠くに住む 我が息子と 孫のために
そして もうひとつ
熊本の地震が 一日も早く
治りますようにと祈りを込めて
著者の 《 白川 静 》(1910~2006)さん は
中国最古の文字資料である殷・周の甲骨文や金文に対して
体系的な研究を行い 中国および日本の古代文化について
「白川文字学」と呼ばれる 独創的な研究を築き上げられた
立命館大学の名誉教授でした
by nonkei7332
| 2016-05-05 22:45
| 日記
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