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《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

女神巡礼 ②


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エントランスの壁




『伊都国歴史博物館』です

本当は 去年 比叡山に行って以来 山岳信仰に興味があったので

今 開催中の

「国境(くにざかい)の山岳信仰ー背振山系の聖地・霊場を巡るー」

を見たかったのですが

この日は 女神の日ですので ぐっと我慢して

3階の 「王墓の部屋」で 館内ガイドさんの

三雲遺跡と平原遺跡 の説明を聞きました


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伊都国歴史博物館 のパンフレットより



博物館の説明によると

平原遺跡は 伊都国の王墓と考えられる1号墓を中心とした墳墓遺跡で

昭和40(1965)年に発見されました。発見は偶然によるもので、

土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、

多数の銅鏡の破片が出土しました。

そこで 故 原田大六(はらだだいろく)氏が調査主任となって、

故 大神邦博(おおがみくにひろ)氏とともに発掘調査が行われました。

1号墓は14m×12mの四隅が丸い長方形で

その中央に木棺が埋葬されていました。

この墓は弥生時代終末期(約1800年前)に造られたものです。


副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの

玉類が多数発見されています。

銅鏡のなかには直径46.5cmの 内行花文鏡 が5枚ありますが、

これは日本最大の銅鏡で非常に貴重なものです。

また ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一で、

伊都国王の墓にふさわしい内容です。


この墓に葬られた人物は女王ではないかと考えられています。


その理由は、副葬品の中に武器がほとんどないこと、

ネックレスやブレスレットなどの装身具(アクセサリー)が多いこと、

中国で女性が身につける「耳とう」といわれるイヤリングが

副葬されているからです



孤高 の 発掘考古学者 で有名な 原田大六さん の著書によれば


『 この大女王を葬った木棺は、東南方の日向(ひなた)峠の方角に

正確に合わせ、股間をそちらに向けてあった。こうなると、

日向峠から昇る太陽の光芒は彼女の股間に射しこむことになる。

太陽祭祀を行った大女王が太陽と性的に結ばれている

この事実を解釈すれば、彼女こそが太陽の妻であり、

日本古典のあの大日靈貴(おおひるめのむち)であったことになる。』


大日靈貴(おおひるめのむち)とは 天照大神(アマテラス)のことです

(綾杉さんは方角が正確ではないのではとブログでおっしゃっていましが)


しかし 大胆な発想ですね

原田さんの他の著書によると 卑弥呼は 一人ではなく

「日の御子」で 太陽の妻として君臨する女王の位階名の事で

少なくとも3人の「日の御子」が いたとされています

最初の「日の御子」は 平原弥生古墳に埋葬された人物で

なんと あの 〈玉依姫〉神格化され 〈天照大神〉であるという説です

ところが 何故か〈魏志倭人伝〉の 卑弥呼の墓は 近畿説なんですね?

これが 発掘考古学的な発想なんでしょうか


今 勉強させてもらっている

神社考古学者の 故百島由一郎先生 の説では

〈卑弥呼〉 = 〈天照大神〉

〈神武天皇〉 = 〈卑弥呼の弟〉説 です


古代史を 発掘考古学 から 神社考古学 から いろんな側面から

繋ぎ合わせていくと 真実の伊都国 の姿が見えてくるのも 近いのでしょう


ツアーは 次の目的地 産宮(さんのみや)神社 です



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祭神は

・鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト) 山幸彦と豊玉姫の子

・奈留多姫命(ナルタヒメ)

・玉依姫命(タマヨリヒメ)

安曇系 神功皇后 ゆかりの安産祈願の神社です

謎 の 奈留多姫命 ウガヤフキアエズの妃であったという説もあります

千木 は 外削ぎ の 男神 ですが 鰹木は四本 女神 を表していました



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《空 sora そら》さん の 2/6 のブログより


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《空 sora そら》さん の 2/6 のブログより





志登神社 に 寄りました

焼失後 去年 総ヒノキ造り の立派な神社になりました

ご祭神は 豊玉姫命

案内板には

『 志登神社は延喜式神名帳(西暦905年醍醐天皇の時代)に記載せられた

式内社で筑前十九社の一社に列せられた由緒ある古社である

この事は延喜年間にこの地方に於ける最も有力な神社として

中央にも認められ 志摩郡の総社として郡民一体の崇敬を集めていた』


iPad の具合が悪かったので 写真は 神社を撮らせたら日本一の

《 空 sora そら 》さんの 先月の写真をお借りしました



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木賊


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櫻井神社 です

入り口の鳥居のそばに 立派な 《 木賊 (とくさ) 》が植えてありました

かつて ここには 古墳 があったそうです

本殿裏は かつては古墳の石室だった場所に 岩戸宮の扁額がありました

二見ヶ浦の夫婦岩の直線上にある神聖な場所だといいます

1610年の大雷雨の日に岩戸神窟の口が開き、

神霊が現われたと知った黒田長政の息子・忠之が、櫻井大神宮の隣に

櫻井神社を造営し 以後 歴代藩主が家宝を奉納するなど

黒田家の崇敬する社となったそうです

拝殿・本殿・楼門は 福岡県の重要文化財にも指定されています


神社そのものの歴史は古くもないのですが

もっと古い 山の神 産鉄の神 の 聖地 だったような気がします


祭神は

《與止日女命 (よどひめのみこと)》

肥前一ノ宮 河上神社の祭神と一緒です

豊姫・淀姫・世田姫 と呼ばれた 神功皇后の妹と言われた 水の女神です

《神直日神》とは 鴨玉依姫のことです

《大直日神》とは 大山咋神のことです

夫婦神 ですね

もう一神の 《八十禍津日神(やそまがつひのかみ)》

イザナギが黄泉の国から帰って 禊を行って 穢れを祓った時に生まれた神

瀬織津姫 と同神だという説もあります



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真新しい 伊勢神宮より 移設された 鳥居を上ると

《 桜井大神宮 》です

祭神は 天照皇大神 (伊勢内宮) と 豊受姫大神 (伊勢外宮)


神明造り三殿の桜井大神宮(創立寛永二年)は

与止姫大明神の御神託で建立され、伊勢皇大神宮の分神が祀られています


神社考古学の百島説によりますと

伊勢の外宮様こと 豊受姫 ( アメノウズメ・稲荷神・辛国息長大姫 ) は

スサノオ と 伊都国の女神 磐長姫 (神大市姫・罔象女) との間に

生まれたの 女神 だといわれています



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筑前二見ヶ浦 です

櫻井神社の宇良宮です 伊弉諾命と伊弉冉命をお祀りしています



もう 50年前になりますが

私の父が大好きだった この浜には 毎年のように

家族で 海水浴にきていました

当時は 鳥居もなく ましてや 素敵なカフェなど ありゃしません

西ノ浦 のバス停を降りて ひたすら 田舎のじゃり道を

スイカ畑 を抜けて この海岸に来たものでした

父は 岩場まで泳ぎ 潜っては 銛で 大きなベラ(魚)を突いていました

私達は 磯岩場で ビナという貝をいっぱい採ってきて

海水で茹でて 爪楊枝で 食べていましたね

その 光景の記憶は 身体に染み付いています

5年前に 伊勢神宮に行った帰りに 伊勢二見ヶ浦に寄ってみたのですが

その ちっぽけな岩 には 唖然とした事を覚えています


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ツアー も いよいよ ラストタイム です

二見ヶ浦を一望できる 素敵なカフェ

『 SURF SIDE CAFE 』


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女神達は

美味しい ショートケーキ を食べながら

楽しかった 一日の思い出に 浸っていました


プロデュース してくれた 綾杉さん スタッフさん

本当に ありがとうございました

冥土の土産 が また一つ 増えたのを 喜ぶ 白髪翁 でした










by nonkei7332 | 2016-03-05 18:25 | 日記 | Comments(0)