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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

女神巡礼 ①



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桃の節供 の事を 『ひいなあそび』ともいいます

この日は 3月3日の 桃の節供の日です 雛祭りの原型は

終日 女性や子供たちが外に出て 川辺や 海辺で 手に手に 重箱を下げて

野あそびをする 一日だったようです

この日 集った 26名の女神達 が お隣の 伊都国に向けて

バスの中に鎮座しておられました

私には 女神を訪ねるというよりも この26名の女神達が

祖神 の眠る丘に 野あそびに行くという光景にみえました

そう考えると 私も含めた 4名の男達はというと

間違いなく 完璧な ミスキャスト です

しかし 同じ バスに乗ってしまったからには 腹をくくって

女神達の付き人として 迷惑かけないように 楽しむことにしました

そういえば 古代から 世の中は 女神や巫女が中心であって

男たちは その周りをうろちょろしていたわけですから

それもありということで 納得したのでした

私見によれば 伊都国(伊那国) は 海を隔てた


一支国(壱岐)・対馬国・狗邪韓国 とおなじ氏族だと思っています

大山祗(月読尊) は 山の神 であり 海の神でもあり 産鉄の神でもあります

その娘である 木花咲耶姫 と 磐長姫 こそが 伊都国の女神なのです

この日は 山の女神である この二神が里に降りてこられる日なのです



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バスは 最初の目的地である「三雲南小路遺跡」につきました

国内最大級の弥生王墓だといわれています



糸島市教育委員会の案内には

《 弥生時代中期 (約2000年前) の 伊都国王の墓で

墓の周囲に幅3~4m・深さ0.5~0.7mの溝で東西32m・南北31mの

方形区域を設けた国内最大級の弥生王墓です。

江戸時代(1822年)に発見された時には 甕棺の上には1.5mほどの

盛土があったとされ 墳丘があったと推定されます

墳墓の中央部には 2基の 長特大の合わせ甕棺(全長2.5m)があって

1号甕棺から35面 2号甕棺から22面 合わせて57面にのぼる前漢鏡・

青銅製武器・金銅製四葉座飾り金具・ガラス製壁・装身具など

豪華な副葬品が出土しました 》



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遺跡のそばにある 「細石神社」

祭神は 〈磐長姫〉と 〈木花咲耶姫〉 伊都国の女神が祀られています

由緒は 古いのでしょうが 豊臣秀吉によって 焼失されていました


古事記には この二人の姫について こう書かれています


《 降臨した ニニギ は 木花咲耶姫 という美しい娘に出会い 求婚します

彼女の父 大山祗 は喜んで 木花咲耶姫と 姉の磐長姫の二人を

妻として差し出しました しかしニニギは容姿の醜い磐長姫は送り返し

木花咲耶姫だけを妻としたのです 大山祗 は深く恥じ入り、

『 磐長姫を妻とされれば、天つ神の御子の命は岩のように永遠で

揺らがないものになり 木花咲耶姫を妻とされれば 木の花が

咲き栄えるように繁栄されますようにと祈願いたしましたのに このように

磐長姫だけをお返しになり 木花咲耶姫だけをお留めになりましたから

天つ神の御子の命は、木の花のように儚いものになってしまうでしょう』

と申し送った、そういうわけで 今に至るまで

天皇の寿命は長くはなくなってしまった 》



日本国歌 の一節の中にも そのような 歌詞があります

《さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで 》

(小さな小石が やがて 岩となり その岩に苔が生えるまで)

大山祗の願った 思い があふれています

磐長姫 苔牟須売神(ニニギと木花咲耶姫の娘)

まるで 国歌の原景 がここにあるみたいです


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細石神社の参道から 見た 高祖山 です

まさしく この景観が 伊都国の原風景です


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バスで 高祖山の中腹まで登ると

伊都国の総鎮守 《高祖神社》に着きました

長い坂道の参道を登ると 社殿 です


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高祖神社 (県神社史より)

【祭神】

天津日高彦火々出見命・玉依比売命・息長足姫命・天照皇大御神・

豊受神

【由緒】

社説に曰く 当社創立の起源詳かならざるも怡土県鎮土の社として

上代より鎮座ありて怡土県主の崇敬厚かりし事明かなり。

怡土県主五十述手の勤王、一に当社尊崇に因るものと思惟せらる。

神功皇后三韓御征伐の御時香椎の宮より此処まで御幸ありて、

高祖の神に異国降伏の御惠を仰ぎ給ひけるに

果して冥助特に深くありければ皇后御帰りの後報賽の御祭として

新に御宮を造り乾に向つて御社を建て給ひき。

下つて奈良朝孝謙天皇の御代吉備真備に勅して怡土城を築き給ひしが、

当社を怡土城鎮護の神とし給へり。当社は城内中央の岡の上にあり。

三代実録に元慶元年(877年)九月二十五日癸亥授筑前国

正六位上高礒比咩神従五位下、とあり。


但し正六位を授けられし時代は不詳。

原田氏怡土城の旧跡を修理し高祖城を築き

此の地に威を振ふ事凡そ四百年(建久八年より天正十四年迄)、

その間当社を城中の鎮護の神として崇敬し

毎年正月元日・同十五日・二月初卯・三月三日・五月五日・七月七日

九月九日・十一月初卯 には原田氏祭主となり、

殊に九月二十六日の大祭には原田当主御輿に供奉して御幸をなせり。

原田時代の棟札、古文書等多数現存せり。

黒田氏筑前国主に封ぜらるるに至り、当社を 怡土郡の総社 と定め、

諸事郡中にて辨ぜり。

現今も四月二十六日祈年祭の節には郡内各大字より祭典費を寄進し、

大神楽 を奉納するを例とせり。


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本殿前には 県無形民俗文化財 『高祖神楽』の 神楽殿がありました


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平成元年 三月 高祖神楽殿 落成の時の写真です


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面神楽十二番の中の 七番神楽『磯羅(いそら)』


《 高祖神楽 》は

今から五百数十年前の応仁元年、戦国動乱の時代時の高祖城主、

原田筑前守種親 が明主である周防国山口城主、大内政弘の要請を受けて

京都守護の大任に当たった時、戦陣のつれづれに習得した

「京の能神楽」を郷土に伝えたものとされていますが、

この外にも異説があり、その始めは定かではありません。

永い歴史と伝統に受け継がれて来た高祖神楽は、江戸時代までは

旧怡土郡の神職の奉仕で舞われていました。

明治になってからは高祖神社の氏子の人達によって受け継がれています

(高祖神楽保存会の栞より)



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社殿向かって 左奥に ご神池 の《女池》がありました

澄んだ水に 木立が映り 木洩れ陽 が 霊魂 を揺らす 神域でした

磐長姫 ・神大市姫・罔象女(ミズハノメ)・山姥神

四つの名前を持つ 龍の顔をした 水の精 が 舞っていました

イザナギ・イザナミは この女神に

「山野に含まれる水=地下水は、天の安河原の水なので、

汝らがこれを治めて、外に溢れ出さないように、

植物の生育の助けとなるように管理せよ」と命じたといいます

伊都国の女神 の 神触れ を 一番感じた 場所でした



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平原遺跡に寄りました

昼からは 伊都国博物館 で 詳しい説明を聞けるみたいでした



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さてさて そろそろ 重箱をひろげる 野あそびの楽しい 時間になりました

洒落た カフェレストラン 『集い』です なんと 貸し切りです

まさしく 女神達の集う場所です

綾杉さん 素敵な演出 ありがとう


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「つどい御膳」です



女神達に囲まれて 白髪翁 も 楽しい時間を過ごせました






by nonkei7332 | 2016-03-05 07:23 | 日記 | Comments(2)
Commented by わたつみ at 2016-03-07 20:34 x
糸島ツアー記ありがとうございます。そして、久しぶりにお会いできてよかったです。高祖神社では、スマホが故障したかのように、どこも写せなかったのでこちらで再度、お写真見せて頂き感激です。女池、かなり神々しかったですよね!
Commented by nonkei7332 at 2016-03-08 15:34
アントンさん こんにちは
久しぶりに お元気な 声が聞けて 嬉しかったです
伊都国 最高でしたね ^o^ 山を越えて 吹いてきた南風 は 女神の風 でした
今年も 地球ツアー を 存分に 楽しみましょう
4月は 志賀海神社の 「山誉種蒔漁猟祭」に行きます

by ヒサミツ