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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

鳥辺野 を 歩く


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鳥辺野の風景



鳥辺野(とりべの) とは

京都東山 三十六峰の一つ 阿弥陀ヶ峰(鳥辺山) を中心にして

西に広がる山麓一帯のことを いいます

北は 清水寺の南から 北は 稲荷山北麓 の 今熊野に至るまでの

地域を総称しています

徒然草 に

『化野の露消ゆる事なく 鳥辺野の烟(けむり)立ちさらでのみ』

と有名な一節がありますが

平安時代の頃より 北の〈蓮台寺〉西の〈化野〉東の〈鳥辺野〉は

風葬 鳥葬 の地とされていました

「鳥辺野の煙」とあるように 南の今熊野付近には 天皇廟もあり

皇族や貴族らがここで 荼毘に伏せられましたが

一方 北側 の山麓には 身寄りのない 屍 が

あちらこちらに 転がっていたといいます


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三十三間堂



京阪七条駅を降りて 「三十三間堂」に向かいます

120m にも及ぶ堂内には 1001躰にも及ぶ〈千手観音〉が

無言で 私を迎えてくれました

圧倒される 祈りの数と 怨みの数が そこには あって

時の重みと この地が 抱えざるをえなかった

《業》というものを 感ぜざるをえませんでした


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剣神社




楽しみにしていた 「京都国立博物館」が 休館という事で

足は 今熊野を目指します 新幹線をくぐり 町並みの中に

小さな『剣神社』がありました

通称「剣(つるぎ)さん」と親しまれる神社です。

今熊野一帯の産土神です。創建年代は不詳ですが

祭神が 瓊瓊杵命(ニニギ) と 白山姫 。

お二人とも 伽耶から来られた 鉄の神様 です

稲荷の神が ここにお呼びになったのかもしれません




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この 剣神社から 泉涌寺までの山道を 歩きながら

さだまさし が 『鳥辺野』という 曲をつくっています



寂しいからと それだけで


来るはずもない 鳥辺野

山道をゆけば 散り急ぐ様に

遠近(おちこち) に寒椿の紅 道を照らす春まだき


《 アルバム「うつろい」より 》



さだまさし は もう一曲 『鳥辺野心中』という曲も作っています


茨道(いばらみち) 袖を裂く けもの道

陵墓(みさきぎ)づたいに 枯れた竹林


追いかけられるようで おそるおそる振り向けば

しづ心なくはらり 紅い寒椿

《アルバム「さよならにっぽん」より》






青い空に 寒椿の似合う

静かな 山道でした


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山道を抜けるように 北へ 歩いて行きました

途中 民家の軒下に掛けてあった 「蘇民将来のお札」を見つけました


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民家の横にあった 小さな祠の「卍」の お地蔵さん

京都では 亡くなった 子供の為に お地蔵さんを祀ります



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東山五条の交差点横にある 大谷本廟 の横には

山沿いに 多くの 墓石が 並んでいました



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八坂神社




あまりの人の多さに 清水寺には登らず

そのまま 東山通りを 歩いて 八坂神社へ 行きました



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ここでも 「蘇民将来のお札」が売られていました

京都には 古くから 〈蘇民将来伝説〉という

説話があり 今でも多くの人に 信じられています


『備後風土記』に残る

〈蘇民将来伝説〉はこんな内容です


昔。北海に坐した スサノオ(牛頭天王)が

南の海の女神に求婚しようと旅に出たとき、日が暮れたので

蘇民将来(そみんしょうらい)と 巨旦将来 (こたんしょうらい)の

二人の兄弟のところへ行って宿を借りようとした。

兄の〈蘇民将来〉は貧しかったが、

弟の〈巨旦将来〉の方は裕福で借家を百戸も持っているほどだった。

そこで スサノオは 先ず弟の方へ行って宿を乞うたが、巨旦は断った。

兄のところへ行くと「どうぞ、どうぞ」と言って歓待してくれた。

彼は貧しかったため粟の柄(茎の藁)で座をつくり、

粟飯でもてなすことしかできなかった。

この後、年を経て スサノオは 八柱の御子を連れて帰って来て、

蘇民将来を訪れ「汝の子孫は家にいるか」とたずねた。

将来は「自分には妻と娘がいます」と答えると、

「茅草で輪を形取ったものをつくり、

それを家族の腰の上につけさせよ」と言った。

将来がその通りにすると、

茅輪をつけた将来一家を除く、その地のものは皆殺しにされていた。

そこで スサノオ は、初めて

「自分はスサノオ神である。後の世に疫病が流行することがあったら、

汝らは蘇民将来の子孫であると唱えるとともに、

茅輪を腰につけよ。そうすれば疫病から免れるであろう。」

と言って立ち去って行った





祇園社(八坂神社) の起こりも

たびたびおこる 災害や疫病をスサノオの仕業と考え

スサノオの化身である 牛頭天王を祀ったところに始まったのですが

謎の多い説話です

蘇民とはいったいどういった人達なのか

何故 スサノオは 自分を助けた 蘇民までも

一人の娘だけを残して 皆殺しにしたのだろうか

何故 将来 茅輪を結び 蘇民の子孫を名乗れば

疾病を逃れられるとしたのだろうか

残った一人の娘のその後は ?

何か 裏 がありそうな話でもあります

秦氏は 遠くは イスラエルから流れてきた 王族だったとも

いわれていますが まるで ユダヤ教イスラエルの

選民思想 の写しみたいでもあります

故郷を追われ 離散した 民族が

《我らこそ 神に選ばれた民》であるとの

近東エレサレムの民の 魂が

こんなところにも 残っているのでしょうか


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祇園




日が暮れてきました 祇園 の人混みを抜け

高瀬川 に辿り着いた時には

川面は もう 一日の終わりを 告げていました


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高瀬川












by nonkei7332 | 2015-12-17 10:55 | 京都 | Comments(2)
Commented by natsuya_n at 2015-12-19 15:21
「蘇民将来のお札」は、「粽(ちまき)」って言うものなんですよ。(^^)
八坂神社の夏祭り、「祇園祭」で売るもので、玄関先に外から見えるように下げるのが一般的な飾り方です。
家の中に置いてもOKですよ。

いい旅行のようでしたね。(^^)
Commented by nonkei7332 at 2015-12-20 06:27
natsuyaさん こんにちは
京都から コメントありがとうございます
私の先祖は 京都の四条に住む 木偶師(からくり人形師)でした
永享9年(1437年) 博多櫛田神社 の招きで 博多に住みつき
博多の祇園山笠の人形の始祖だと言われています
家系図には 野見宿禰後胤とありますので
天日穂(スサノオ)系の 渡来人だったのでしょうね
筑紫(九州)から 渡ってきた渡来人(秦氏 鴨氏 土師氏 )達が
どんな足跡を京都にもたらしたのか
どんな 神を祀っていたのか
どんな 祭りをおこなっていたのかを知る旅でした
私も 蘇民の DNA を持つ 子孫として
今後も 京都に接していきたいと思っております
お好きな 場所が 京都 松山 横浜だと知りました
博多 にも 是非いらして下さい ガイドさせて頂きますよ
比叡おろしの風が 身にしみる 季節です
ご自愛下さいませ。

by ヒサミツ