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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

伏見深草 を 歩く



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伏見稲荷大社




京都盆地 の東山の西麓地区 を 伏見深草 と言います

伏見は かつて「伏水」と言われていたように


地下水系が豊富な土地で 昔から 酒造りなどが行われています

深草は 草が深く生い茂る 湿地帯だったようで その後

秦氏が 中心になって ここを 開拓し

豊かな 農地へと 変わっていったのでした

平安の頃には 官人たちの別荘地になり

中世には 京都の中心地として発展していきます


この地に鎮座するのが 『伏見稲荷大社』です


祭神 は 五柱です

宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)

佐田彦大神

大宮能売大神

田中大神

四大神(しのおおかみ)


秦氏の 秦伊呂具が 和銅4年(711年) に建てたと言われていますが

もっと古くは 稲荷山の山そのものが祀られていたようにも思えます

稲荷 とは何なのかに その答えがあるようです

秦氏が行った 低湿地の灌漑や治水には 欠かせない道具がありました

それは 鉄器 です 鉄製の鍬や鋤 があってこそ その事業ができたのです

それは どこで作ったのか

私は この稲荷山 こそ 産鉄の山だったと思っています

伏見稲荷大社の秋の祭り〈火焚祭り〉は

別名「ふいご(鞴)祭り」というそうです

ふいご とは タタラ製鉄において 炉口に風を送る道具です

鍛冶の神を祀った 祭りだったのでしょう


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千本鳥居





秦氏以前 この稲荷山周辺を治めていた

氏族が住んでいたとされています

その氏族とは 紀氏 でした

奈良時代 深草は〈紀伊郡深草郷〉と呼ばれていました

このあたりは 紀氏一族が 拠点としていた土地だったのです

深草の南 に 藤森神社があります

藤森神社は スサノオを初めとする多くの祭神が祀られていますが

紀氏の先祖を祀る神社だともいわれているのです


紀氏 の祖先は 〈姫氏〉とも呼ばれます

中国呉の国を追われた 海人族です

熊本 有明海沿岸 背振山南麓(佐賀武雄から鳥栖市)に流れ着いた

いわゆる 狗奴国 の祖先です

それは 神武・卑弥呼 と続いていく系統です

主に 稲作を伝えました

もうひとつの姫氏の 流れがあって 呉から 黄海を渡り

半島新羅経由で 背振山北麓(糸島)に住み着いた 海人族です

スサノオ(天日鉾)・宇迦之御魂(出雲国造)・野見宿禰 土師氏と流れる

新羅系の出雲族と呼ばれる 人達です

主に 製鉄の技術を伝えました


伏見大社の本殿前に 狐の像が左右二頭 たっています

一匹は稲穂を咥えています

もう一匹は 巻物(暦) を咥えています

鉄の民は 暦をよむ民でもありました

姫(紀)氏が この国に伝えた 稲と鉄 を象徴しているのです


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本殿前の狐像




佐賀県東部の基山町 という町に 基山(404m)という山があります

スサノオが新羅から持ってきた木を植林したとの伝説があります

この周辺の山麓を 〈基の国〉といっていていました

呉狗国 紀氏 の本拠地であったとされ 付近には 多くの墳墓があり

あの 吉野ヶ里遺跡もこの近くなのです

姫の国(呉) が 基の国となり 後世 紀の国 と呼ばれたのでしょう


私には 基山 と 稲荷山が 同じように 見えてきます


基山近くに残る 昔話に 「ふたりの長者」という話があります

田中長者 と 虎丸長者 の話なのですが

伏見大社の謎の祭神 「田中大神」とダブりますね

「田中大神」とは 筑紫の神だったのでしょうか

(詳しくは 拙ブログ 1/19 「ふたりの長者」を見てください)


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基山からの 展望



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稲荷山からの展望





もうひとつの謎は 秦氏とともに この地に住み着いていた

《土師氏》(はじし) の存在です

土師氏については 神話や 記紀には

天日鉾(スサノオ)・野見宿禰 ・土師氏 と繋がる系統だとされています

垂仁天皇の頃の話に

皇后の葬儀の時に 殉死を憂いた 垂仁天皇に 野見宿禰が

埴輪を埋める事を提案したことで 土師臣 の姓を与えられ

土師氏は 代々天皇家の 古墳造営を含めた 葬送儀礼全般に 仕切った

とされています その後は 朝廷が仏教を庇護した為に

古墳造営も無くなり やがては 勢力も衰えていきます

桓武天皇の時に 一族は 土師氏の改名を嘆願し

大江氏・秋篠氏・菅原氏 の姓をうけ 官職につきます

後世 祟りの神として 畏れられた

菅原道真公 の 祖先は 土師氏 だったのです


秦氏と 同じような出自の 氏族でもあり

同じように 歴史から 消えていった 土師氏

土師氏は 秦氏 の裏の顔 かもしれません

山に入り 来る日も来る日も 鉄を造り続けた 鍛冶の民

土蜘蛛と呼ばれ そして 鬼と呼ばれ 殺されていった 悲運の民

〈修羅〉を引きずりながら 偽りの墳墓をつくり続けた 土師の民

やがては 傀儡の民となって 歴史の表舞台から消えた

悲しみの民でした


福岡の 嘉穂郡桂川町には 土師老松神社 があります

土師氏の里としての伝承が 多く残っています

重文の「土師獅子舞」は 海を渡ってきた 獅子が舞われ

呉狗の民の 末裔を 匂わせています

近くには 「出雲」の地名が残っていて

古出雲はこの辺りではなかったのかと 思えてなりません



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伏見人形





深草の地には 多くの 土師の民が住んでいたとされています

深草土師氏は 元来 鉄の民 鍛冶の民 だったのですが

後世 この地で取れる 良質の粘土で 多くの 瓦や土器をつくります

その後 稲荷神社の 参拝者土産に作った 伏見人形は

日本の最古の土人形だと言われ 稲荷信仰の拡大と共に

全国に広まり 全国各地の 郷土人形へと繋がっていったのでした



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稲荷山 山麓





伏見深草 に鎮座する 稲荷の神は

遠く 古代中国の 姫氏 が祀った 神でした

それは 遠き海を渡ってきた 稲穂の神であり

多くの富と戦をもたらした 産鉄の神でもありました

筑紫の民であった 秦氏 そして 土師氏

九州倭国 の 神々 を ここにも 祀ったのでしょう








by nonkei7332 | 2015-12-14 17:27 | 京都 | Comments(0)

by ヒサミツ