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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

正倉院宝物


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九州国立博物館



『 10年は 一昔 』といいます

九州国立博物館 ができて 10年

開館記念展 の 名称 は 『 美の国日本 』でした

そして 10周年の今回も 『 美の国日本 』


渡来人で溢れる 参道を抜けて 博物館に上る

何時ものように 虹のトンネルを抜けると 目の前に

青い空を映した 鏡張りの 博物館が 目の前に 現れる


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今回の目当ては 『正倉院宝物』

正倉院は 奈良東大寺にある 校倉造(あぜくらづくり)の高床式倉庫

奈良天平の宝物が納められている と教科書で習った

パンフレットを覗くと 全国の国立博物館から取り寄せた

展示品がほとんどで 正倉院宝物 は たったの 6点だけ

あたかも 正倉院宝物展 のごとき メディア の紹介だったので

またしても 上げ底展の感を歪めない


『螺鈿紫檀五絃琵琶』今回の目玉がこれだ




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聖武天皇の愛玩品だったというが 日本の工芸ではない

ラクダに乗って琵琶を奏でる ペルシャ人からしてみると

唐に渡り 遣唐使によって 日本にもたらされて物のようだ

紫檀の上に貝の螺鈿の美しさは 目を瞠るものがある




気になった 宝物が 『筑前国嶋郡川辺里戸籍』


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説明を読むと

《大宝2年(702)の筑前国嶋郡川辺里

(今の福岡県糸島市および福岡市西区の一部あたり)住民の戸籍で、

現存する 日本最古の戸籍として知られています。

戸主とその家族の名前、年齢などが一行一名ずつ記録され、

その上から「筑前国印」が丁寧に捺されています。》

この文書は 『正倉院文書』とよばれる 一万数千点にもなる

古文書の一部だといわれているが 戸籍 天皇への献上品 などの

様々な文書群であり 今も その解析研究が進んでいるといわれる


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「九州王朝説」の 故 古田武彦さん は


講演の中でこんな話をなさっていた


『 正倉院文書の問題である。

私はあれ!と思ったのは筑後だけが献上品が全然違う。

他の地方は醤油や味噌など非常に分かり易い地方の特産物等である。

しかし筑後だけが全然違う。

まず天平10年(738年)に、

銅の竈(かまど)を作る工人を献上させられている。

次は轆轤(ろくろ)の職人を献上させられる。

轆轤(ろくろ)の職人も重要な技術である。

更におかしいのは、鷹狩りの技術者を30人献上させられている。

30人と書いて有る。先ほどの銅の竈を作る工人の数は書いていない。

もっと多いみたいだ。さらに犬を献上させられている。

犬というのは御鷹犬です。鷹狩りには人間だけいても駄 目。犬がいる。

特殊技術を持った犬を筑後から献上させられている。

奈良の犬では駄 目だったみたいだ。

( 中略 )

一番の問題は玉類。玉というのは玻璃製・ガラス製品。

現代では安っぽく見えるが、当時ガラスは最高の工業製品。

15・16世紀に西洋で大量 生産の方法が発明されるまでは、

尊い宝玉のトップの位置にあったのが玻璃製・ガラス製品。

その玻璃製品を930枚、「賣」という名目で献上させられている。

どうせ買い上げたと言っても大した金は出していない。

さらに今度は真珠。白玉 113枚、これもすごい数。

その他にもいろいろ竹玉・ガラスの勾玉・管玉とか献上させられている。

要するに弥生時代に博多湾岸にあった物が皆筑後の方に有ったらしく、

それを献上させられている。そういうことがありました。

それで今度の古田史学会報に少し皮肉を書いたのですが、

従来の正倉院文書の研究者は多いが、

どうして九州王朝論者にならなかったのか。

あれを見れば筑後は他の国と違って、

最高権力者の土地であることが 明確ではないか。

それから天平10年から14年後に東大寺の奈良の大仏が建立されている。

これは銅の製品ですよ。そうであれば今の数が書いていないほど

「銅の竈の工人」が献上させられている。その彼らが

奈良の東大寺の大仏の建立の中心になったことはまず疑いがない。

そういうことは教科書では教えていないでしょう。

天平10年以前の権力の中心地は福岡県でした。

王朝はそこにありました。

正倉院文書の研究者がみんな言わなければいけない。

言わなかったのが後世から見ると謎になるのではないか。

こういう皮肉を書いた。そこから始まった問題は

(近畿に)献上する前のおびただしい宝玉はどこに有ったのか。

そういう疑問を持っていた。そこへ東京の高木さんから、

筑後国に「正倉院」が有ったと言われたので、本当にビックリした。

天平10年に献上させられた膨大な宝玉 はどこに入ったか。

おそらく奈良の正倉院に入ったことはまず間違いがない。

我々は今奈良の正倉院の宝物を見ていますが、

何処からきたか知らずに見ています。』


古田武彦さん 古代史研究の第一人者であられました

先月14日 亡くなられました 89歳でした

歴史は 必ず 彼が遺した偉業を 称賛するでしょう

元気なお姿を 知っている 私には 想いも深きおひとりでした

日本の賢人が またひとり 亡くなられました

御冥福をお祈り致します

拙ブログ 2/22 の記事に 《孤高の魂ー古田武彦さん》として

紹介させて頂きました




歴史に 隠された 正倉院の謎

歴史に消された 九州王朝の真実

秋の太宰府は どこまでも 青き空に包まれ

宝満から下りてくる 澄みきった神の風に

ひたすら 身をゆだねているようでもありました









by nonkei7332 | 2015-11-03 10:08 | 菅公・太宰府 | Comments(2)
Commented by chie_1952 at 2015-11-05 18:11
九州博物館、行かれたのですね。
今回は私も是非とも行こうと思っています。
 正倉院文書 とても興味深いです。
此方を拝見していると知らない事が多く出てきて楽しいですね。
勉強になります。
Commented by nonkei7332 at 2015-11-06 11:00
Chieさん こんにちは
8世紀の初めまで 九州には王家が存在していました
奈良に出来た新王朝は 自分たちを正統化するために
国書(日本書紀・古事記)を改ざんしたり 多くの
筑紫王朝の宝を奪って 自分たちの物にしたり
挙げ句の果てには 九州の沢山の寺院を廃寺にして
名前を変えて 畿内に移し替えたりしています
真実の歴史が 少しずつ 明らかにされようとしていますが
教育現場ではこの動きを頑なに拒んでいます
私達の住む この麗しの都 筑紫のことを
もっと誇りに思っても良いのではと思います
太宰府は その中心でもあったんです。