持衰(じさい) について
夏休み 子供達が プールで はしゃぎまわっています
子供は 自然そのものです
〈泣き〉〈笑い〉〈怒り〉〈 眠り〉
その姿は 天使といってもいいでしょう
『 幼児虐待が 何故 文明国に多いのか それは 文明国は
自然をコントロールできると思っているからである。
幼児は 自然 そのもであるからだ 』
誰の話だったのかは 忘れたましたが
そんな話をきいたことがあります
ただ 幼児虐待は 現代だけの話ではありまん
古い文献や伝承のなかにも 哀しい史実が残っています
そのひとつが 古代の 海人風習であった
《 持衰 》(じさい) です
〈 持衰 〉という言葉が 初めて でてくるのが
中国の歴史書で 日本の風俗なども伝えた
「魏志倭人伝」でした
《 其の行来、海を渡りて中国に詣るとき、
恒に一人をして、頭を梳けらず、
機蝨を去らず、衣服垢汚し、肉を食せず、
婦人に近づかず、喪人の如くせしむ。
これを名づけて持衰となす。
若し行く者吉善なれば、共にその生口と財物とを顧し、
若し疾病あるか、暴害に遭わば、便ち之を殺さんと欲す。
其れ 持衰 謹まずと謂うなり。》
皆川博子氏は『瀧夜叉』の中で
〈持衰〉についてこう書かれています
遣唐使の時に必ず伴っていたとの記述あり
船路の災いを身に受ける。
荒(しけ) の時は海神の贄(いけにえ)として海に投げ入れられる
水や食べ物は十分に与えられ、ある種の敬いの対象になっている
瀬戸内にある家舟(えぶね)という各世帯にいる
奴(やっこ)から 選ばれるらしい。
5歳くらいの時に神籤で選び出され、
持衰としての運命を受け入れるようずっと神社で育てられる。
持衰は時化の度に失うので常に補充されなければならない。
身繕い(入浴や髪を梳かすことなど)はしてはならない。
黥(いれずみ)を目~頬~こめかみにかけて入れられてる。
古代において 自然災害は
多くの人命を失うものとして 畏れられ
荒れ狂う 自然 (荒神) に対して
幼児を 人身御供(ひとみごくう) として
生贄として神に 捧げた 風習でした
飢饉の時の 口減しのために 嬰児を殺す〈間引き〉や
洪水を防ぐための 〈人柱〉などは 幼児だけでなく
村の厄介者と呼ばれた 身体・知的・精神障害者 を
その対象としたと いわれています
遠野に残る 『座敷ワラシ』や 『河童』は
亡くなっていった子供達を弔う 村人たちの
懺悔の残像のようにもみえてきます
《 島原の子守唄 》
おどみゃ 島原の おどみゃ 島原の
なしの木 育ちよ
何のなしやら 何のなしやら
色気なしばよ ショーカイナ
はよ寝ろ 泣かんで オロロンバイ
鬼の池ん久助どんの 連れんこらるるばい
注) 〈鬼の池ん 久助どんの 連れんこられるばい〉
とは 鬼池の久助 という人物は 人買い で
貧しい農村から 幼い子供達を 遊郭に売り渡していたといいます
by nonkei7332
| 2015-08-07 07:06
| 古代史
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