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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

木賊 (とくさ)



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木賊




おそらく

この字 〈 木賊 〉を ( とくさ ) と読める人は

少ないだろうと思う


私も その一人だった


常緑シダ植物 で 茎が直立して長く節が多い

茎の先端には (つくし) そっくりの 胞子をつける

よく 観賞用として栽培されているが

硬い茎 で 物を磨いたりしたので

〈 砥草 〉とぎぐさ とも呼ばれ

〈 歯磨き草 〉とも呼ばれている

「木賊刈る」とは 秋の季語 だ



三年ほど前の事になるが

知人である 九大大学院の S教授 に連れられて

中央区 警固 にある

「小料理屋 木賊」というお店に行ったことがある

戸口の前に 木賊 が並んで植えてあった

中に入ると 7~8 人しか 座れない

カウンターの狭いお店だった

みんなが 「木賊のママ」と呼ぶ

年配の女主人が 一人で切り盛りされていた

私達が来るというので

前もって 魚を捌いて 小料理も何品か作って頂いていたが

どの料理も マイウ と 言える程の 一品だった

どこか 昭和の匂いのする店で

なぜか 日本酒 が飲みたくなる

博多をすべて わかっておられるような

凛とした ママの横顔に

母の顔が かぶって 見えた


話の中で

かつて この店に通われていた 常連客のお一人に

ドイツ文学者 の 高橋義孝 先生 が

おられたと聞いて 驚いてしまった



私にとって 日本の ドイツ文学者 の 双璧 と いえば

高橋健二さん (1902〜1998) と

高橋義孝さん (1913〜1995〉だった


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高橋義孝 氏




ヘッセの訳で有名な

中央大学の教授であった 高橋健二先生 は

私が ヘッセにのめり込み 大学まで 追いかけた 恩師である


かたや 高橋義孝教授 は

トーマス・マン や ゲーテ の 権威で

晩年は 相撲の 横綱審議委員長をされていた方でもある

ヨシタカ先生 は 1950年から 1970年まで

九大の教授をされていたので

そのころ この店に通われていたみたいだ

木賊のママ に ヨシタカ先生は どんな方でしたか聞くと

『もう ずいぶん 昔の話やからね」

といって

にこり とされた

それ以上 何も聞けない 沈黙に

私は ぐい呑 を開け

木賊のことに 話題を変えたのだった



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祇園会 の 山鉾 『木賊山』


真鍋大覚さん の 『儺の国の星拾遺』104P には

こんな 一説があった


「 いたとり の水田は 年によっては 赤潮が発生する。

十九年に 一度と よく いわれてきた

畦には 「木賊」が生える土地柄であって

十九歳 を とくさ と訓じた 所以がここにあった 」




筑紫 の 歳時


木賊 を見るたびに


農民達には


19年ごとに おしよせる


賊 に 思いをはせたのだろうか







by nonkei7332 | 2015-07-22 13:49 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ