山笠 と 女神
7月10日 の朝
博多の町の各流の山小屋に納められた 舁き山が
いっせいに それぞれの町内で動き始めるのが
「流れ舁き」であり
これから 12日 の 「追い山ならし」
15日 の 「追い山」と
祭りは ピークを迎えます
山笠の起源とは いったい なんだったのでしょう
全国では 1500件 近い 山鉾 の祭りがあるとされるなかで
山笠と呼ばれる 山鉾は博多を中心とした 北九州に多いのです
そもそも 山鉾のはじまりは 京都の祇園御霊会 (祇園会) だとされます
古来 京都では 川がよく氾濫する土地だったようで
その度に 疫病がおこり 多くの人が 亡くなっていました
祇園会は 都を 襲う 疫病を鎮める祭事 と スサノオ (牛頭天王) 信仰が
習合し 慣例化した 祭礼だったのです
人々は 疫病の 鎮静を願い 山 や 鉾 と呼ばれる 作り物をつくり
厄神を 移しかえ 依り代 ( よりしろ ) として 川に流したとされます
依り代 を 川に流すといえば
ひな祭り の 起源である 流し雛 も
子供の無病息災を願い 人の型をした和紙を
川に流して 穢れを祓ったもので
やがて 人型( ヒトガタ ) は 人形 と 呼ばれるようになったといいます
山鉾 山笠 に多くの人形が使われるのも
依り代 の起源に因るものでしょう
川に流す という行為は
博多の町 の 「 流 」の呼称の起源のようでもあります
旗 や 川 の数え方の単位も 流 といいます
山笠の 舁き手に向かって
水を掛ける 「勢い水」(きおいみず) も
本来は 「浄い水」 から きたのではないかと 考えられます
それは 水によって 穢れを祓う 行為であって
決して 舁き手の身体を冷やす為だけでは なかったのだと思います
雨もまたしかりです
博多の梅雨明けは 平均すると 7月19日頃だと言われていますから
山笠期間は 梅雨の真っ只中です 雨もまた 浄めの雨なのでしょうか
すべての 穢れを 水で 祓う 女神といえば
「 瀬 織 津 姫 」ですね
歴史の闇に消された 女神といわれている 謎の女神です
瀬織津姫を祀る 福津市の〈 波折神社 〉も 宗像市の 〈 皐月宮 〉も
川のほとり 川口 に 鎮座しています
川 ( 天の川 ) のほとりにいる 女神といえば
棚機 (たなばた) の 織姫 もまた 瀬織津姫 だとも いわれています
古事記の神産み神話 では イザナギが 黄泉の穢れを 禊いで
アマテラス( 太陽の神) ツキヨミ ( 月の神) スサノオ ( 海の神) の
三貴神 をつくったといわれていますが
ツキヨミ は すべての 生を産む 夜の神 であり 女神 であり
その姿は 瀬織津姫 だとも言われています
櫛田神社 の 主祭神は 大幡大神 ( 櫛田明神 ) という神様 です
よく 櫛稲田姫 と 混同されていますが
櫛稲田姫 と 櫛田明神 とは 全く 別の神様です
実は この神様 も 謎多き神様で 言い伝えによると
その昔は 女性の神様であったという 話が あるそうです
勇壮な 男の祭りとして 知られる 博多祇園山笠
しかし その奥には
男達 の 平和への祈りを
そっと見守る 龍神 ( 女神 ) が いるという
私の妄想は どこまでも 拡がっていくのでした
by nonkei7332
| 2015-07-11 19:13
| 古代史
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