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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

儺河(那珂川) と 井尻



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井尻橋 から 背振山を望む


博多の町は 二つの川にはさまれている
ひとつは 東を流れる 宝満山 を源とする 三笠川 (石堂川)
もうひとつは 西を流れる 背振山 を源とする 那珂川
今日は 那珂川 の話

《 筑前国風土記 》( 貝原益軒著) には

『 日本紀には、儺河 ( なかがわ ) と書り
此川は、その源 早良郡 背振山の麓 又 此郡、五箇山の奥 大野より
流出、那珂郡中を流れて 博多の西 福岡の東に至りて
道程 六里をへて 海に入る。』

( 那珂川は 背振山を水源にして 那珂川町 春日市 福岡市 を通って
博多湾に注ぐ 延長35㎞の 河川 )


私は 5歳の時から 福岡市の南部 (南区) 《 井 尻 》の町に住んでいた
西鉄大牟田線で福岡から 5番目の駅になる 井尻 は
今でこそ 住宅のひしめく郊外住宅地になっているが
50年前は 沿線一面 は 田んぼが 広がっていた
大橋駅 を過ぎると 田んぼの中から 川が見えた この川が 那珂川
鉄橋を渡ると 間もなく 井尻駅に着く 右手の往還道路に 並行して
狭い路地の 井尻商店街があり 左手には 踏切を渡って すぐに
映画にもなった『 しいのみ学園」という 知的障害者の施設がある
《 しいのみ学園は 1954年 創立 。
創立者は 〈 障害者教育の先駆者 〉といわれる
『 曻地三郎先生 』(1906〜2013) 》


小学校には 今みたいに プールなど無かったころで
夏休みになると 私達は 毎日のように 那珂川 の鉄橋付近で
身体が冷えて 唇が 紫色に変わるまで 泳いでいた
当時の 那珂川は 川底は 白砂で 水も澄んでいたし 綺麗だったのだ
真っ黒に日焼けした顔で 私達は川底に 潜っては 魚を捕まえたり
橋の上から 川に飛び込んだり まるで 河童 のように 遊んでいた

《 井尻 》という地名の由来については調べてみると
那珂川 の川沿いには 〈 井尻 〉という地名が 二つある事がわかった
ひとつは 福岡市南区の 井尻であり
もうひとつは 那珂川町 別所 に井尻地区という場所がある

《 筑前国風土記 》には

『 この郡には ふたつの 井尻村がある』

と書かれている

このふたつの井尻に共通しているいる事といえば 共に川沿いにあり
すぐそばに 《 井堰 》(いせき) がある事だ
南区の井尻のそばには番托井堰 (ばんたくいせき)』があり
那珂川町別所には 日本最古の用水路といわれる
「裂田の溝」(さくたのうなで) がある
その 取水口の すぐ上流にある
井尻井堰 (いじりいせき)』がそれである


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番托井堰 (ばんたくいせき)



《 儺の国の星拾遺 》133P で
真鍋大覚 さん はこう書かれている


『 水を祈る氏族、即ち 《みくまりのかみ》は近東に出る。
ISIS ( イシス ) ISRAEL (イスリル) がこれである。
倭人は伝えて 《いしり》と名付け、
もって 水勢の多寡と水温の上下を治す 女神の神とした。
今に残る 井尻 の郷名は その祠が安置されるところであった。』

また 145P には

『 かつて エジプトの祖神なる イシス は ナイル川の灌水に
全身の叡智をそそいだ 女人であったと 伝えられる。
倭人は「ゐがわのやまのかみ」なる 女神を
井出、唐門 のところに必ず祭った。
今の 井尻 なる 郷名が まさにそれであった。』


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エジプト神話 の イシリ女神




《 みくまりのかみ 》とは ウイック によれば

みくまりのかみ ( 水 分 神 ) とは 神名の通り、
水の分配を司る神である。
「くまり」は「配り(くばり)」の意で、
水源地 や 水路の分水点などに祀られる。
日本神話 では 神産みの段で
ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ 両神の子として
天水分神 (あめのみくまりのかみ)
国水分神 (くにのみくまりのかみ) が登場する
水に関わる神ということで 祈雨 の対象ともされ
また、田の神 や 水源地に祀られるものは 山の神 とも結びついた
後に、「みくまり」が「みこもり(御子守)」と解され、
子供の守護神、子授け安産の神としても信仰されるようなった 』


思いもしない 井尻 の地名 が エジプト神話 に 繋がることになったが
水分神 (みくまりのかみ) が祀られた 地 を井尻 といったのだろう

那珂川町の井尻地区では 毎年5月31日
井出あげ 』という神事 が今も 行われている
区の人達が 水門を清掃して 御神酒を注ぎ
水の恵みに感謝し 安全を祈願。
その後 水門西側の高台にある 五穀神に
五穀豊穣と田植えの無事をいのるという。


私が 少年期 青年期 を過ごした 井尻 の町には
こんな 地名の由来が あった


梅雨の晴れ間 今日は 真夏日に なりそうだ

田植えも 終わった 農家の人達の

ほっとした 顔が浮かんでくる








by nonkei7332 | 2015-06-29 16:38 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ