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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

「 朝 倉 」への 想い



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三連水車




水無月 の 朔日

園児たちの 制服と帽子の色が 水色に変わりました


去年も 訪ねた 思い出 深き 朝 倉 に行ってきました

きっかけは 老人会のバスツアーの 世話

迷いましたが 行き先が 朝倉と聞いて 引き受ける事にしました f^_^;)


三笠川 ~ 水城 ~ 針摺 ~ 宝満川 ~ 甘木 ~ 筑後川 ~ 朝倉


この行路は 天空を流れる 天の川 に例えて

『 あいなれ川 』と呼ばれました

古代 筑紫を ふたつの嶋に分ける 海路だったのでした

阿曇の舟人は 上げ潮に乗って 海峡を遡り

葦の葉陰の中を 帆を張って 南へと向かって行ったのでしょう




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バスは 太刀洗の 「キリン花園」へ

最盛期には 1000万本の ポピーの花が 咲くという フェスタも 最終日

わずかに残った 花が 迎えてくれました

梅雨入りを 前にして 陽射しは 肌を焦がします

日陰のベンチで ほっと一息つきました




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朝倉の地名の由来はというと 観光協会の説明には


『 「朝倉」という地名は、この地方一帯を示す古い言葉ですが、

その記録をたどると 遠く飛鳥時代までさかのぼります。

西暦661年 斉明天皇は

朝鮮半島の百済からの要請に応じて出兵を決意し 現在の朝倉地区に

「橘廣庭(たちばなのひろにわ)」と呼ばれる仮宮殿を設けました。

この折に斉明天皇が言った「朝(あさ)なお闇(くら)き」が

朝倉市の「朝倉」という地名の由来と言われています。』



真鍋大覚さんの 「儺の国の星拾遺」241P には こう書かれています


『 〈あさくら〉とは 〈 あしたのいわくら 〉

即ち 太陽が昇り立つ 黄道に先だつ 星座のことであって

古人はこれをよく 天空上に心得ていて

分日至日(春分秋分夏至冬至) の暦を匡したのであった。

暁の明星がここに出るから、やがて朝倉の名が音写されたのであるが、

昔は 上座(あさくら)と書した。

座とは 言うまでもなく 星宿 のことである。(中略)

朝倉郡は 明治23年(1980) に 上座郡 と下座郡を合併して出来た名である。

もし 上座郡が 暁星(あけのほし) に正応するならば、下座は 昏星(くれのほし)

に正応すべきことになる。』


古代 筑紫の民は 朝の一番星 を 見つけては

上座(あさくら) と呼んだのでしょう




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未央柳



昼食は 「 三連水車の里あさくら 」

農産物直売所 や 食堂があり 隣接する 水車公園には

実物大の観光用の 三連水車がありました モーターで 動いていました

本物の 三連水車は そこから 450メートル 下手に行くと

有名な 「菱野三連水車」があるのですが この時期 まだ 稼働してないはずです

「未央柳」(びょうやなぎ) 別名 「美女柳」の花が 咲いていました




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帰りは 施設を左折して 福岡方面に戻るのですが

私の 気持ちはすっかり 右折していたのでした

なぜかというと 右へ 数百メートルいくと 『 恵蘇八幡宮 』があるからです

斉明天皇の 「藁葬の地」(こうそうのち) と 云われている 宮です

長津宮(那珂川町安徳) から 橘広庭宮 に移られた 斉明天皇 は

二ヶ月すると病で亡くなられます。

皇太子であった 中大兄皇子( 後の天智天皇) は

恵蘇八幡宮の山の頂上 に 御遺骸をうつされ そこで モガリ をされます

《殯 (もがり)とは 本葬まで貴人の遺体を棺に納め仮に安置してまつること》

そして 中腹に木の堂を建てられ 12日間の喪に服されます。


《 秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ 》


有名な 百人一首 一番の 天智天皇の歌です

母を亡くした悲しみで 涙にくれる 皇子の歌は 朝倉で詠われたのでしょう


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筑後川



多くの 歴史を語り そして その変遷を側で 見届けた 『 筑後川 』

古くは 『 千歳川 』(ちとせがわ) と呼ばれました

また ある時は 『 一夜川 』(いちやがわ) とも呼ばれました

洪水が 豊穣な土地を 一夜で荒地に変えてしうほどの

暴れ川 だったからでしょう





梅 雨 を 前にして


静かに 流れる 『 千古川 』(ちっごがわ)


『もう 暴れなくてもいいよ』 そう 語ることしか


そう 祈ることしか 私には 出来ないみたいです。


木蓮のような 『 泰山木 』(たいざんぼく) の花が 咲いていました。


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泰山木の花










by nonkei7332 | 2015-06-02 23:10 | 古代史 | Comments(0)