「自分」の壁
私は 二週間に一度くらい 図書館にいく
そして 五冊位の 書物を借りてきては 読んでいる
明日は 図書館に行く日なのだが
明日 返す本の中で 特に 面白かった本があった
それは 養老孟司 著『自分の壁』という 新潮新書だった
彼は かなり ひねくれた 考え方をする人だが
その ひねくれかたに ハッと 気づかされる ものがあった
『 以前から気になっていたのは、団塊の世代の人々が しばしば、
「 老後は子供の世話には ならない」と言っていることでした
親孝行といった道徳をなくしていけば、当然そういう考え方になります。
「 私は親孝行しない よって 子供も親に孝行する必要はない」となるからです
でも、体が動かなくなれば他人に迷惑をかけざるをえません。
それでいいのです。世の中には元気でも迷惑な人だって、たくさんいます。
他人に迷惑をかけずに亡くなるのが一番いいというならば、災害で死んで、
遺体も見つからないのが理想だという事になってしまう。
いくら何でも、それはおかしいと思うでしょう。
「子供の世話にならない」という考え方を持つ人は、
それを一種の美学だと捉えているのかもしれません。しかし、
社会全体がそういう考え方に向かうのは、ちょっと危ない傾向に思えます
それは、「子供の世話をしない」ということの裏返しだからです。
要は、「人のことなんか知ったこっちゃない」ということです
これは実は人間関係において、手抜きをしていることです。
このことは、「自分の体は自分のもの」という考え方にもつながります。
そして自殺も「俺の勝手」になってしまう。』
親孝行の本当の意味について こんなふうに 書かれている
『人間が最初に付き合う自分以外の人は、親です
それを徹底的に大切にしろ、とはどういうことか。
親のほうは「子供は親の言うことを聞くべきだ」
という教えだと考えているかもしれません。
でも、それは誤解です。親孝行は、子供に対して
「お前は お前だけのものじゃないよ」
ということを 実は 教えていたのです』
親子関係について言えば
私は 「子供の世話にはならない」派の部類なので
養老さんのいう 「危ない傾向」「手抜き」の指摘をもろに 受けてしまう
幸い 出来た息子達だから 年に一二度会いに来てくれるし
誕生日や父の日には キチンとプレゼントを送ってくれるのだが
私の中で 「子供や孫の世話はしない」という
手抜きが存在するのを 自覚している
私の 近所には 一人暮らしの老人がたくさん住んでおられる
まるで 姥捨山 みたいな 光景がそこにはある
でも 決して 子供達に 捨てられた人達ではない
自らの意志で 私とおなじように
「子供の世話にはならない」といって
独り暮らしを選んだ人達なんだろう
養老さんがいうように 日本人が 抱えた 核家族という 負の連鎖が
やがて この国を 間違った方向へ 向かわせていくのであれば
それは どこかで 断ち切らないと いけないのかもしれない
老人達よ 先ずは この山から 降りて 子供達の住む里へ戻ろう
そして 孫の世話をしながら 子供に世話をしてもらうのだ
父の日が近い
初めての事だが
次男に 『電気カミソリ』が欲しいと ねだってみた
『わかりました』と返事が来た
さてさて 長男には 何をねだろうかと
今 思案中だ
by nonkei7332
| 2015-05-28 09:33
| 日記
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