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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

『風姿花伝』について 2



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世阿弥木造 入江美法作 



観阿弥・世阿弥 親子の出生の地は 伊賀の里です

四方を山で囲まれた 伊賀盆地は 多くの伝承に彩られています

伊賀といえば 忍者 服部一族の里です 〈伊賀衆〉とよばれた 一族です

観阿弥も 服部一族 だったといわれています

観阿弥 の 母 は 〈大楠公〉と言われた 〈楠木正成) の 姉でした

南朝を支えた 正成の血を引く 観世親子にとって 生涯 ついてまわる

出自の謎がここにもあります

もう一人 伊賀の人といえば あの 〈松尾芭蕉〉 です

全国を行脚した 芭蕉の生涯も 謎に包まれた 伊賀衆の一人だったのです

伊賀を出た 観阿弥は 大和の結崎に移り 猿楽衆 結崎座を立ち上げます

そして 正平18年(1363年) 世阿弥が生まれます 観阿弥 この時 30歳。

やがて この地にある 糸井神社の楽頭職となり その後 この地が

観世家の本拠地となります

この 糸井神社 は 社名の如く

綾羽 〉〈 呉羽 〉の 祭神 があることから 機織(ハタオリ)の神とされ

秦氏 の流れを 色濃く遺す神社 です



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糸井神社



「風姿花伝」には 申楽の 起源の中で こう書いてます


『 聖徳太子は 神代・仏在所 の吉例にならい 六十六番の物真似を

〈秦河勝〉に命じてつくらせた 』


観世親子にとって は 秦氏 天日矛命(糸井造の遠祖)に繋がる

渡来の民としての 筑紫の血脈が その後の 作品に見え隠れするのが

頷ける 逸話です

やがて 観阿弥は 奈良の春日大社に 進出し その技量が認められ

興福寺や 醍醐寺にも招聘され 大和猿楽 の座の中でも

結崎座(観世座)は トップの地位を築いていくのでした

応安7年 (1374年) 大和から 京都へ 活躍の場を移した 観阿弥 は

今熊野神社 に於いて 時の将軍 足利義満 を迎えて 能 を演じます

この晴れ舞台に 観阿弥は 長男 鬼夜叉 ( 後の世阿弥 ) を若い男役で

つとめさせたのでした 世阿弥 この時 12歳。

神業と呼ばれた 観阿弥の芸 そして 美しく輝く 鬼夜叉 の姿に

将軍義満は その衝撃に すっかり 魂を奪われてしまうのでした


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足利義満


世阿弥は 「風姿花伝」の中で

十二・三歳の頃の 稽古に在り方をこう 述べています


『 おおよそ 子供の申楽では 大人がするような 手の込んだ物真似を

させるべきではない。見た目もそぐわず 能も上達しない。ただし

上達の著しい子であれば 何をさせても問題はない。稚児姿、声の良さ

その上 演技も上手となれば 何故いけないといえるだろうか しかし

この花は 〈まことの花〉ではない。 ただ 〈時分の花〉というべきだ。 』


この頃になると 神事としての 申楽 は

人間に対しての 娯楽へと 変わっていきます

社寺 から 将軍家 や 武家に その 主催者の座が 変わっていきます

足利義満 は この時 17歳 この若き将軍は 世阿弥 という名を

鬼夜叉 に与え 寵愛の限りをつくします その寵愛ぶりに

ある公家の日記には こう 記されています


「 猿楽といえば 乞食の所業であるのに その稚児を将軍が愛するのは

もっての外のことである 」


世阿弥 の 青春は 父であり 師匠でもある 観阿弥 と

将軍義満 の 寵愛 を 受け

その 天賦の芸の技に ますますの 磨きをかけたのでした

やがて 都でも評判の 若手随一の 演者となっていったのでした

( 続く)








by nonkei7332 | 2015-05-01 20:17 | | Comments(0)