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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

綱敷天満宮



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正面より


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拝殿





博多には 古くからの町である 「綱輪町」(つなわまち) という町があった

いつのまにか 訛って「綱場町」(つなばちょう) と呼ばれ 今日まで 残っているが

町名の由来は その地に鎮座する 『 綱敷天満宮 』からである

この天満宮に謂れは


菅原道真公 が 筑紫の国への 下向の船旅の終わりの時


津の国 (博多) 『 袖の湊 』に上陸された


そこが 海辺だったので


漁師達が 船の友綱を手繰り上げて


蚊取線香のように 巻いて 輪にして


円座をつくり 道真公 をその座に迎えて


休んでいただいたという話からきている


実は 全く 同じ名前 と 由来の 綱敷天満宮 が

摂津須磨の浦 (神戸市東灘区) と

豊前国築城群高塚村 (福岡県築上町高塚) にもある



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沖の濱 の 南岸に 綱場天神の表記があります




博多の町は しばしば 兵火のため 焦土となっていたので 天満宮も何度か場所を変えたが

落ち着いたところが 「袖の湊」の博多本土 と 大水路 (博多中の道) を隔てた

対岸の 沖の濱地の南岸であった ( 鎌倉時代の博多古図 参照)

その後 袖の湊も やがて 陸地となり 今の 博多の地形になると

天満宮は 綱場通りと呼ばれる 往還沿いに 北向きに建てられたようだ

江戸の元禄の頃の大火で焼失したあとは 土居通り沿いに 西向きに建て直されたようで

再建当時の 境内地の広さは 五、六百坪もあって 土俵場があり

松の木や 梅の木や 多くの樹木が繁っていたといわれている

( 明治22年の博多地図 参照 )


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中央あたりに 綱場天神が 土居通り沿いにあります





昭和の戦災で 社殿も楼門も全焼し しばらく 官有地となっていたが

昭和25年 現在地に 百坪ほどの土地の 無償払下げを受けて

戦後の都市計画で出来た 新道沿いに 南向きに 神殿を 造営し

現在に至っている


天満宮の祭祀は 古来より

綱場町 と 下土居町とが共同で 今日まで奉仕されてきたようだ

去年の山笠の時に 訪れたが 「土居流」の 詰所 として 境内が使われていた

「下土居町」と言えば このブログの〈ルーツのタグ〉で紹介したように

我が家の先祖 「小堀家」があった町で 文献によれば

天満宮の四軒となりに「山笠細工人形店」の看板が出ていたようである

おそらく 先祖達が 子供だった頃 天満宮の 境内で 日が暮れるまで

真っ黒になるまで 汚れて 遊んでいたのだろう

目を閉じて 海馬を覗くと 子供達の唄う声が 聞こえてくる



通りゃんせ 通りゃんせ

ここは どこの細道じゃ

天神様の細道じゃ~




by nonkei7332 | 2015-03-26 12:02 | 博多ルーツ | Comments(0)

by ヒサミツ