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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

《 春宵感懐 》 中原中也



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《 中 原 中 也 》(なかはらちゅうや)

私の中で 詩人 といえば 必ず この人の 名前が出てきます。

「春宵感懐」は 中也 の自選第二詩集 「在りし日の歌」 にある詩です



【 春宵感懐 】

雨が、あがって、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(よい)。
 なまあったかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息(ためいき)が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧(わ)くけど、それは、掴(つか)めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだろうじゃないですか、
 けれども、それは、示(あ)かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合(かおみあわ)せれば
にっこり笑うというほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがって、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあったかい、風が吹く。



この詩を書いたのは 詩人 27歳のころ
公私ともに最も 充実した 時期の作品です
昭和8年 26歳で 遠縁の 上野孝子と結婚し
翌年の10月には 長男の文也が生まれます
苦労した第一詩集の『山羊の歌』が 12月に発刊 され
その後の評判も良く 職業詩人として活動範囲が大きく拡がってきた
翌年の 7月に 「文学界」に発表された詩です
しかし いい時期は そんなに長くは 続きませんでした
昭和11年 詩人 29歳 の11月
溺愛していた 2歳になったばかりの 文也が 小児結核で 亡くなります
絶望は 詩人の精神を破壊へと 追い込んでいきます
被害妄想やノイローゼが高じたために
翌年1月 には 療養所に1ヶ月入院し ます
退院後 鎌倉へ転居したのは 心機一転を図り 再生を期すためでした
鎌倉では 中断していた 第二集「在りし日の歌」の編集を再開 します
文也追悼詩集となる「在りし日の歌」が完成し
親友の小林秀雄に 原稿を託します
詩集の 後記 には 詩人はこんなふうに 心境を書き述べています




私は今、此(こ)の詩集の原稿を纏(まと)め、友人小林秀雄に托し、
東京十三年間の生活に別れて、郷里に引籠(ひきこも)るのである。
別に新しい計画があるのでもないが、
いよいよ詩生活に沈潜しようと思っている。
扨(さて)、此(こ)の後どうなることか……
それを思えば茫洋(ぼうよう)とする。
 さらば東京! おおわが青春!
                  〔一九三七・九・二三〕



不安の中にも 過去を断ち切り 郷里での 新たな生活への 意思もみえる 文章です
1937年(昭和12年) 9月27日 の日付けです
10月になると 突然 結核性脳膜炎を発病します 10月6日 入院
そして 10月 22日 余りにも 短く あまりにも 多感な人生にピリオドを打ちます
享年 30歳 遺した 詩 370編 だと いわれています


研ぎ澄まされた 針のような 感性と早熟しすぎた 比類の才能を持ち
あまりにも 巨きな悲しみの魂を背負った 愛すべき 詩人でした



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中也 と 文也


四行詩 ( 中原中也 最後の詩 )

おまへはもう 静かな 部屋に帰るがよい

煥発(かんぱつ)する 都会の夜々の燈火を後に

おまへはもう 郊外の道を 辿る(たどる)がよい

そして 心の呟やき(つぶやき)を ゆつくり 聴くがよい







by nonkei7332 | 2015-02-23 18:04 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ