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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

孤高の魂 ~ 古田武彦さん




とても 87歳とは思えぬ 凛とした 声は いまでも 私の脳裏に残っています
それは 去年の 3月2日 アクロス福岡 で行われた イベント
《 筑紫舞 再興三十周年記念 国宝大神社展 「宮地嶽 黄金伝説」》に
特別ゲスト として参加された 歴史学者 《 古 田 武 彦 》さん


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おおよそ 歴史・古代史 などとは 全く縁の無かった 私でしたが
縁あって ご講演を聞くことができました
古田さんが 提唱された 『九州王朝説』とは 次のようなものです

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《 九州王朝説 》

我国には近畿天皇家に先行する王朝が存在した。

この王朝は、一貫して九州を本拠とし
「天孫降臨」とされる海人族の博多湾岸への進出に始まり、
701年に近畿天皇家に取って代わられるまで存続した。

海外史書に見える 3世紀 邪馬壹国の卑弥呼・壹予、
5世紀の倭の五王、7世紀の 阿毎多利思北孤 はこの王朝の天子であった。

漢・魏・隋・唐 など歴代中国、朝鮮半島の高句麗や新羅・百済との
交流・戦闘はこの王朝の事績だ。

また、517年の「継体」に始まる32の「九州年号」をたて、
磐井の律令や冠位12階などを制定し、全国に評制を敷き、国宰・評督等を任命し、
難波に副都を建設するなど全盛期には九州にとどまらず、全国を支配領域としていた。

白村江の敗戦もこの王朝の出来事であり、
これ以降勢力は急速に衰え、8世紀初頭、
則天武后の承認を得た近畿天皇家に名実ともにとってかわられた。

近畿天皇家は九州王朝の存在を消し、自らの正統性を主張するため、
その史書を盗用・改変し『古事記』『日本書紀』を編纂し、
我が国の初元から近畿天皇家が統治していたという歴史を作り上げた。


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定説の 歴史観を くつがえす 新史観であるために 多くの批判を受けながらも
私も含め 徐々に その理解の裾野が 拡がっているようです

「 人が人の為に作った 国や宗教が 自己正統化するために
歴史を改ざんし その為に戦争を起こし 多くの人が 犠牲となった
歴史が 今なお 続いています
もう こんな 歴史は繰り返してはいけない その為にも
いまこそ この国の 本当の歴史を見つめ直すことが 大事だ 」と

古田さんは いわれます

そして 講演の最後は こんな 印象的なお話で締めくくられました。


『 私も もう87歳 間違いなく もうすぐ 死ぬでしょう 。
死んだら どこに行きたいかといえば
私は 地獄 に行きたいと 今 思っています。
そこには 生きているうちに いろんな不幸を抱えて
いまだ 地獄の思い をしている人が たくさんおられるからです
その地獄に行って 一人でも多くの人から
悔しかったこと 辛かったことを 聞いてあげたいからです
私の人生をふりかえってみたら こんな 欠陥だらけの 私のことを
多くの人が 理解をし 支援をして頂きました
ほんとうに 恵まれた 人生 でした
その お返しの為に 私は まっしぐらに 地獄に行きたい
それが 今の 望みなんです 』
(内容要略)


古田さんの 人となりを 深さを 感じさせて頂いた 温かいお話でした。
いつまでも お元気で いて欲しいです。



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博多湾から見た 鉾立山・砥石山・宝満山 に 昇る 朝日







by nonkei7332 | 2015-02-22 22:38 | 日記 | Comments(0)

by ヒサミツ