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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

謡曲『 俊 成 忠 度 』の 謎




 

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〈 藤原俊成 に自作の和歌集を差し出す 平忠度 〉



この 謡曲 は 平安時代の 二人の 歌人の物語です


一人は 『 藤 原 俊 成 』(ふじはらのとしなり)


若い時から 和歌一筋にして 名を馳せ 『 千 載 和 歌 集 』を編纂するなど

息子 「藤原定家」とともに 平安末期の和歌文化を確立した 歌人です


もう一人が 『 平 忠 度 』(たいらのただのり)


忠度 は 平家の武将 平忠盛の六男。平清盛の異母弟になります。

歌人としても 優れた才能を持ち 俊成 に 師事しました

41歳の時 源平の 一の谷の戦い にて 源氏方の 岡部忠澄 と戦い 討死 をします




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【 謡 曲 の あ ら す じ 】

都の 俊成 の邸宅に 岡部忠澄 が訪ねてきます

じつは 岡部忠澄 は 源平の合戦で 平 忠度 を討ちとり

その亡骸から 和歌を 記した 短冊 を見つけ

忠度 の 師である 俊成 のもとに 届けてきたのでした

辞世と言われた句には 『 旅宿の花 』という題がついていました


《 行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の 主ならまし 》


俊成が忠度の 辞世の句を詠むと

忠度の亡霊が現れます。

忠度 は 俊成 に『千載和歌集』におさめられた 自分の歌が

「詠み人知らず」になっていることを ただします

その歌は 『故郷の花』という題でした


《 さざ波や 志賀の都は あれにしを 昔ながらの 山桜かな 》


俊成は 平氏として朝廷の敵となってしまった 忠度の名前を

表に 出すのは難しいと答えます

しかし この歌がある以上 いつかは 忠度 の名も

世間に知られることになると 慰めるのでした

忠度 は 俊成 に向かい 自分の和歌についての考えを語ります

和歌のはじめは スサノウ が出雲を 詠んだ 歌だったこと


《 八雲立つ 出雲八重垣 妻こめに、八重垣つくるその八重垣を 》


柿本人麻呂 の詠んだ 歌については


《 ほのぼのと あかしの浦の 朝ぎりに 島がくれゆく 舟をしぞ思ふ 》


この 情景の本当の場所について 思い至りましたと話すのでした

夜の間 ずっと二人は 時間をわすれ 語り合っていました

やがて 急に 忠度 が立ち上がり 興奮した 錯乱状態になってしまいます

忠度の中で 〈 修羅王 〉が暴れだしたのでした

すると 忠度の「さざ波や」の歌に心を寄せた 〈 梵天帝釈天 〉が 現われ

修羅の苦しみを 鎮めてくれたのです

忠度 の姿は 山の木陰に隠れるように 消えて行きました





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八重桜 (牡丹桜)







歌人である 師弟の 別れ

弟子であった 忠度 は 武人として 戦いに敗れた 無念を晴らすために

師である 俊成の前に 亡霊と成って 現れたのではありませんでした

自分の歌を 「詠み人知らず」と 残してくれた 師 への 感謝 と

歌人として 万葉の歌の真実を 最期に

師匠に聞いて欲しかったのでしょう

この物語には「旅宿の花」「故郷の花」という 忠度の歌

スサノオの 「出雲の歌」 柿本人麻呂の 「あかしの浦」の歌 がでてきます

四編の 歌の奥に 隠された 真実を 語ることで

忠度 は 修羅の世界を抜け出すことができたのでした


忠度の 二つの歌を繋ぐものは 山桜 という 花 です

シテとツレの掛合いの中で エッと思う 台詞が登場します


《 情の末も・深見草 》


花の名を 『 深見草 ( 牡丹 ) 』といっているのです

万葉の頃に 《牡丹の花》はあったのですね

そういえば 山桜は 八重桜 とも 牡丹桜 とも呼ばれています

一夜の宿を 一世の宿と 忠度は詠みます

山桜が咲き誇っていた いにしえの都 こそが

私の 眠る所と言っているのです

そして その都こそ 今は 荒れ果てた 志賀の都 だともいっています

さて『志賀の都』とは いったい どこでしょうか

多くの人が 滋賀の 近江の都 だと 思っています

昔 栄華を誇り 今は荒れ果てた都といえば

筑紫王朝 しかありません

志賀 とは 博多湾に浮かぶ 志賀島のことです

掛合いの最後に シテは この言葉で 終わります


《 謡へや舞へや・の・国の。なにはの事も忠度なり 》

謡曲『蘆刈』の中で 〈世阿弥〉は
〈 津の国 難波(なには)の都は 仁徳天皇が 創られた 筑紫(博多)の都 〉
だと 明かしますが
ここでも 津の国 とは 那の津(博多) のことであり
なには の事 も 忠度のいう 故郷の都 だといっているのです

《 難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花 》

この歌は 仁徳天皇の都の繁栄を歌った歌 です これも 筑紫の都でしょう

それともうひとつ 「詠み人知らず」にした 理由です
「詠み人知らず」 とは 歌の選集で 作者が 不明か またはそれを
明らかに示しにくい事情あるときに記載する とあります
その歌の 作者の名前だけでなく 歌の内容も
朝廷にとって 不利益になるのなら
内容を 変えたり 場所を消すことも あるのだと 示唆しているのです

忠度 は 名前を消された 敗者でした
筑紫王朝 も 名前を 消された 敗者でした
忠度は 夜を賭して 俊成に語ります
スサノオの 和歌の起源は 〈倭国〉だということを
歌仙 と呼ばれた 柿本人麻呂 の 詠んだ歌の海こそ
博多の海 ( 磯良の海 )であることを




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志賀島の海



この 謡曲 は ほんとうの 和歌 とは何かを
ふたりの 歌人を通して 伝えようとしています

その 真実とは

『 〈 和 歌 〉は 〈 倭 歌 〉だった 』

『 万葉の 風景 は 全てが 筑紫 にあった 』

驚き の 発見です。





 


by nonkei7332 | 2015-02-11 01:13 | | Comments(2)
Commented by わたつみ at 2015-02-15 11:16 x
すごいですね!和歌→倭歌!志賀の宮、探したいですね。
Commented by 磯良 at 2015-02-15 23:08 x
アントンさん こんばんは
私たちの 記憶の奥深く眠る 昔話を追いかけてきました
隠しても 隠しきれない 古人の魂の叫び が 聞こえてきました
「かぐや姫」も 「浦島太郎」も 志賀の都 の 昔話でした
世阿弥 の 遺した「 謡曲 」は いろんな事を 教えてくれます