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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

秀吉 は 猿 だった ⑷



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『筑紫舞』を伝承する 宮地巌神社の 浄見譲宮司




豊臣秀吉

文禄2年(1592年) 名護屋城内に入ってからの 五年間
〈 能 〉を自ら稽古し始め 憑かれたように その世界に没頭します

その場所こそ 遠く 〈 魏 〉の使者が 最初に上陸した 〈 末盧国 〉でした
その 〈 倭人伝 〉には

《 海を渡ること千余里 末盧國に至る 》 とあります

そして 秀吉の舞う 能舞 こそが
かつて 呉の民 が 荒波を乗り越え いのしえの 九州王朝をつくり
宮廷舞 『 筑 紫 舞 』として 1000年もの間
傀儡子達によって 隠し伝えられた 《祖神の舞》 だったことを
秀吉は 知っていたはずです

享楽ではなく 今 滅亡の淵に立つ 尊き 山河 と 民 を護る為に
猿楽師 秀吉は 祈るように 舞い続けたのでした

秀吉は 死の間際 東山の麓に立てた 方広寺の大仏の鎮守として
自らを 《 八 幡 》として祀るよう遺言します

そして 辞世の句を遺します


《 露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢 》


『 難波のこと 』とは 決して 摂津の国 (大阪) のことではありません

秀吉は 謡曲 『 蘆 刈 』の 笠の段
《 津の国の 難波の春は夢なれや 名に負う梅の花笠 》
この 一節の奥に 世阿弥 が 隠そうとした
九州王朝の 博多の海の物語 だということを 知っていたのでしょう

九州王朝の復興を 『 夢のまた夢 』と 偲びつつ

息を引き取る 最期まで

《 猿楽師のせがれ 》

秀吉は 猿 だった のでした



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那の津(難波の津) 博多湾 磯良の海 の夕暮れ


by nonkei7332 | 2015-01-26 13:38 | 博多ルーツ | Comments(0)

by ヒサミツ