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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

ふたりの長者の話



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長者の藤




太宰府の 昔話に 『 田中長者 』という お話があって
二人の 長者 がでてきます
今日は そんな 話をしてみます

《 田 中 長 者 》 日本昔ばなし より

昔、九州の太宰府に近い通古賀(とおのこが)という所に、
田中長者と言う大変な長者がいた。
その屋敷の広さと言ったら、使用人でさえ迷子になる程で、
また屋敷には数えきれないくらいの蔵があった。
そんな大金持ちの田中長者であったが、決して人に対して威張るという事はなく、
そのため村人や使用人たちからたいそう尊敬されていた。
ところで、この通古賀から山一つ隔てた隣村には、
これまた大金持ちの虎丸長者という長者がいた。
この虎丸長者は、田中長者とは対照的に、自分が金持ちであるという事を鼻にかけ、
いつも隣村の田中長者に対抗心を燃やしていた。
ある時、虎丸長者は自分の財力を通古賀の村人や田中長者に見せつけるため、
千人の使用人を引き連れて、太宰府の寺にお参りに行くことにした。
千人の長い行列は、太鼓や笛などを鳴らしながら、
にぎやかに通古賀の村を通り過ぎて行く。
さて、その太宰府からの帰り道のことであった。
虎丸長者が田中長者の屋敷の前を通りかかると、折から雨が降り始めた。
虎丸長者はちょうど良いと、田中長者から傘を千本借りることにした。
いくら田中長者でも、傘千本は用意出来ずに泡を食うだろうと思ったからだ。
ところが田中長者は、新品の傘を千本いとも簡単に用意して、
虎丸長者の使用人に持たせた。
これに悔しい思いをした虎丸長者、何とか田中長者に一泡吹かせようと、
今度は千人の大飯食らいを集めた。
傘を返すのを口実に、田中長者の屋敷に千人の大飯食らいを昼飯前に向わせたのだ。
これにはさすがの田中長者もさぞ困るだろう。ところがどうだろう。
田中長者の屋敷では、ちょうどご飯を多めに炊き過ぎたと、
千人の大飯食らいをもてなし、
さらに食べきれなかったご飯は、一人三つずつお握りにして渡し、
計三千個の握り飯をもらって帰って来たのだ。
これを見て、とても太刀打ち出来ないと思った虎丸長者は、
二度と田中長者と張り合おうとしなかったそうだ。



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武蔵寺



『 虎丸長者 』 どんな人?

藤原鎌足の子孫の 《 藤原虎麻 》(ふじはらのとらまろ) がその人です
初代の大宰帥(だざいのそち)(大宰府の長官) だといわれています
天拝山の麓にある 《 椿花山武蔵寺 》
虎麻 が 夢の中で 薬師如来が宿る霊木の精から
薬師十二神将像を作り 堂を建てて祀るようお告げがあったので
ここに寺を建てた これが武蔵寺の由来と伝えられています
ここには 「瑠璃姫伝説」という話が残っています
《 子供のいなかった 虎麿 は薬師堂にこもり 薬師三尊に祈り縋ったところ
その加護をえて 瑠璃姫 を授かったといいます
ところが疫病が流行り 瑠璃姫もこの流行病に罹り 虎麿はさらに薬師如来に祈願し続けたところ
ある夜、夢の中に一人の僧侶が現れて
「ここから東方に葦の生えている湿地があり、そこに温泉がある。
ここで入浴させれば、必ず病は治るであろう」と告げ、姿を消しました
早速 虎麿はその場所に行き茂った葦を刈り こんこんと湧き出る温泉を見つけました
その温泉に瑠璃姫を 入浴させると たちまち病気が治ったといいます
これが二日市温泉の始まりです》

天拝山・武蔵寺 は 私の大好きな 散策路です
(長者の藤といわれる 藤棚) (駐車場横の 深紅の寒椿) (新緑の山路)
(菅公が身を清めたという 紫藤の滝) 懐かしい風景がそこには 残っています
今は 「天拝山歴史自然公園」として 綺麗に整備されていて
遠く 万葉の風の中で 静かに 佇んでいます


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王城神社



《 田中長者 》どんな人?

菅公よりも 天智天皇よりも もっと もっと 昔の話になります
通古賀(とおのこが) あたりに住んでいた
大野県主 《 田中熊別 》(たなかくまわけ ) がその人です
もとより 太宰府が 「遠の朝廷」(とおのみかど) とよばれたように
通古賀 も 「遠の国衙」(とおのこが)と呼ばれた場所で 政務を司る
役所があったところでした
熊別は 四王寺山の向こうの宇美町に至るまでの 広い土地を おさめていました
通古賀にある 《 王城神社 》の「縁起」によると
玉依姫の子 神武天皇が 東征にあたり 四王寺山の山頂に仮宮を建て
ここに (事代主命) と (武甕槌命) を祀ったとされます
東征には 田中熊別も息子の(熊則)を伴って 援軍したとされています
四王寺山 の名前も 神武の初めての 仮宮だったので 「始王地 」
神武天皇の子供 (蚊田王) 出産に由来して 「始皇子」と呼ばれたと書かれています
田中の庄 宇美町は 蚊田の庄 に名前がかわったといいますから
「蚊田王」の産まれた場所も 熊別の所領であった 宇美町で
ほんとうは 応神天皇ではなく 神武天皇の子 蚊田王の産まれたところだと
「縁起」に書かれています
熊別 は東征後 通古賀にもどり 御笠川の支流である 鷺田川のほとりに
田中の森 という 墓に眠っているそうです
天智天皇は 大野城や基肄城を作った時に 四王寺山頂に祀られた
「事代主命」は 通古賀にある 王城神社へ
「武甕槌命」は 春日市の 春日神社に それぞれ 移されたとも書かれています


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昔話の行き着く先は『 遠の筑紫 』の物語になりました

小さな 王城神社の縁起ですが 神武天皇 から始まる
筑紫の謎がうごめいています










by nonkei7332 | 2015-01-19 15:42 | 菅公・太宰府 | Comments(0)