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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

『 高 砂 』や


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謡曲高砂



クリスマスです



街には クリスマスソング が流れています



イエスキリストの降誕を祝う お祭り(ハレ)の日



古い 謂れによると 冬至を祝った 祭りが



イエスの降誕とかさなって



クリスマスになったという話もあるみたいです



ちなみに 日本で 一番最初にクリスマスを祝ったのは



フランシスコザビエルで



場所は あの 大内義隆 の 山口 だと言われています



〈古今東西〉祭り(ハレ)に 歌 と 舞 は 欠かせないもので



日本では 正月や婚礼には 晴れ着(ハレギ)をきて 謡曲を歌いました



歌う謡曲も その月や祭事に合わせて 決まっているようで



元旦は 『鶴亀』



婚礼は 『 高 砂 』が 定番だったようです



今日は クリスマス ですから 祝意を表す意味で『高砂』の話をします



そうです 結婚式の時に どこかの 親戚のおじさんが唸っていた あの



《 高砂や ~ この浦舟に帆を上げて~ 》です





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祝言ソング「謡曲高砂」の 作詞作曲は



あの 〈 世阿弥 〉です


この 物語 こんな〈あらすじ〉です



平安時代前期の延喜の頃。



九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)は、



都見物の途中、従者を連れて播磨国(兵庫県)の



名所高砂の浦に立ち寄ります。



そこで 松の落葉を掃く老夫婦に出会います



友成は、高砂の松について問いかけます



二人は 友成に、この松こそ高砂の松であり、



遠い住吉の地にある住の江の松と合わせて



「相生(あいおい)の松」と呼ばれている謂われを教えます。



そして『万葉集』の昔のように



今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、



それぞれ高砂、住の江の松にたとえて、賞賛しました。



老翁はさらに、和歌が栄えるのは、



草木をはじめ万物に歌心がこもるからだと説き、



樹齢千年を保つ常緑の松は特にめでたいものであるとして


松の由緒を語ります。




やがて老夫婦は、友成に、



自分たちは高砂と住吉の「相生の松」の化身であると告げると、



住吉での再会を約して夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、



そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。



残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、



月の出とともに小舟を出し、



高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。



住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。



月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、



君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。





松は、古来、神が宿る木とされ、



常緑なところから 長寿のめでたさを表しています



また、雌雄の別があり、夫婦を連想させています



世阿弥は この能を、



「播州高砂 摂津の国住吉と 国を隔てて住みながらも



夫婦として暮らす老人老女」



という人物設定で、長寿や老夫婦の睦まじさを称えるとともに


松の長寿のめでたさを和歌の道の久しい繁栄になぞらえ



美しい詞章と舞いとで、表現しました





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さてさて 話は ここからです 世阿弥 は この話の中に



日本の 古代史を覆すような 謎 を隠しています




この シナリオ の目的は



神戸の高砂の松 と 難波の住吉の松 が夫婦である事をいっていて



それを 阿蘇宮司が承認するというものとなっているわけです



とすると 高砂神社と住吉大社に祀られる神は



いったい 誰なのか





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高砂神社


〈高砂神社〉



社伝によれば 神功皇后の命により



大己貴命が当地に祀られたことにより創建されたとつたえられています



とすれば この神社の神とは 《 神 功 皇 后 》 ということです






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住吉大社



〈住吉大社〉



第一本宮:底筒男命 (そこつつのをのみこと)



第二本宮:中筒男命 (なかつつのをのみこと)



第三本宮:表筒男命 (うはつつのをのみこと)



第四本宮: 神功皇后 (じんぐうこうごう)




実は 大阪の住吉大社・福岡の住吉神社・下関の住吉神社 の三社が



日本三大住吉といわれていますが



割と しられていないのが この三社に元宮があって



その元宮とは 福岡 那珂川町にある 「現人神社」だということです





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現人神社



〈現人神社〉



その由来をみてみると




〈御祭神〉 



住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)



〈御由緒 並びに御神徳〉



伊邪那岐の大神、



筑紫の日向の橘の小戸の檍原にて禊祓い給いし時に生れまし



住吉三柱の大神を祭祀した最も古い社にして、



神功皇后(1780年前)三韓遠征の際、



軍船の舳先に御形を現し、玉体を護り進路を導き、



無事凱旋せしめた御神として、



皇后いたく畏(かしこ)み奉りて、



この住吉の神の鎮まり座す現人宮を訪れ、



神田に水を引かむと山田の一の井堰を築き、



裂田の溝を通水して、



五穀豊穣の誠を捧げられ、現人大明神の尊号を授けられ、



供奉の藤原朝臣佐伯宿禰をして祀官せしめられてより、



現人大明神と称す。



摂津の住吉大社は現人大明神の和魂(にぎみたま)を祀り、



福岡の住吉宮は(1200年前)分霊せらる。






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by nonkei7332 | 2014-12-25 11:19 | | Trackback | Comments(0)

by イソラ