坂 を 登 る
振り返れば
多くの 坂 を登ってきた
たやすく 登れた 坂 もあったが
困難な 坂 もあった
中には
まさか と思うような 坂 もあった
福岡城の三の丸から 本丸に登っていく坂を
『 松 ノ 木 坂 』 という
記憶があるわけではないが 私が この世に生を受けて
一番 最初に 上り下りした 坂 がこの坂なのだ
というのも 昔 この城の本丸には 国立病院があって
そこで 私は生まれた
大きなお腹を抱えた 母が この坂を何度も 上り下りし
そして 生まれてから 五歳になるまで この坂 は
私の 格好の 遊び場でもあったのだ
早いもので
母が亡くなって
この冬で 三年の坂 を越えることになる
京都の 八坂さんから 清水寺に通じる 石畳の坂道を
『 三 年 坂 』という
清水の 子安地蔵に安産を祈願しに登る坂でもあったので
『 産 寧 坂 』とも呼ばれている
普段は 多くの 観光客で溢れているが 日が落ちたあとの
夜の 佇まいが 私は好きだ
桜の頃 三年ぶりに 行ってみようと思う
忘れがたい 坂道がある
地下鉄東西線の早稲田駅の西口を上がると
北に伸びる 坂道がある
この坂を 『 夏 目 坂 』という
坂の左側は 喜久井町といって 昔 夏目漱石 の生家があった町だ
上り詰めたところが 若松町 右手は 戸山町で 寺が並んでいた
その向かい側が 原町と言った
原町の路地を入って行くと
貴和荘という 木造の二階建てのアパートがあり
42年前 私は そこに 住んでいた
成人の日 の夜の事を 憶えている
故郷に帰ることもなく 雪の舞う 坂を バイト先から
疲れた体を 引きずるように 坂を登っていた 私がいた
グーグルで覗いてみると もう 昔の面影など どこにもないが
アパートがあった場所には 立派な マンションが立っていて
名前が 「メゾンド 貴和」に変わっていた
その後 私は 早稲田の正門の近くの 馬場下町に移るのだが
世の中は 騒然としていた
大学は封鎖され 学園紛争が新左翼のセクト闘争に変貌し
革マル派と中核派が 過激な 殺し合いをしていた
どこにも 属さない 私などは ノンセクト と呼ばれ
ノンポリ とも呼ばれていた
前の年の11月 三島由紀夫 が 市ヶ谷の自衛隊で 割腹自決した
街には ジョンレノン の イマジンが流れていた
Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...
by nonkei7332
| 2014-12-05 14:48
| 日記
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