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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

幻 の 妙 見 島


名島神社 本殿
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神功皇后との 繋がり 多き 名島神社 の沖に

かつて 《 妙 見 島 》と呼ばれた 島があった



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名島神社 より 妙見島を見る



この島は 干潮になれば 200m程の距離を 歩いて 渡れた
島の規模は 東西約100m 南北約50m 標高10数mで
ふたこぶの小さな 峰がある
写真には 鳥居があるのを 確認できます
かつては この島には 妙見を祀った神社があって
那の国の宮殿といわれた 名島の 北方の守り神として
その役目を果たしていたのであろうか



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大正時代の妙見島




『 筑前国続風土記附録 』には
【 妙見島は 神功皇后の三韓より 御帰陣の時に 船具を納めし所也。
故に今も 波濤 列しき時は 鉾 及び 矢の根 など 砂中よりでる 】
という記述がなされている



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当時の航空図



天正十五年(1587)秀吉の九州征伐の後
筑前太守に毛利の 小早川隆景(こばやかわたかかげ)が任ぜられた
隆景は それまでの筑前支配の拠点・立花山城へは入らず 名島城を改築して入った
ともかく 名島 が 筑前の政治の中心となったのである
秀吉も淀君を伴って 名島城に滞在したという 記録がある
安土桃山時代 から 江戸時代の始めに 活躍した 博多の豪商 神屋宗湛
が記した『宗湛日記』と呼ばれる 自身が出席した 茶会の記録文がある
この日記によると 天正16年(1588)2月25日に始まった
小早川隆景の名島城普請の見舞いに
翌月6日 日本酒(練り酒)と肴を持って参上し
この島と名島の間の浜辺で酒宴を 開いた
また 同月27日には 隆景主催の茶会がこの島で開催され
質素な 茶席で茶を点てた様子や隆景が上機嫌だったことが 記されているという



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『軍師 官兵衛』
鶴見辰吾 扮する
小早川隆景




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妙見島跡に豊臣秀吉が使ったと言われる井戸が今も残ってる



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名島海岸から 妙見島跡を望む
白いマンションの裏手が妙見島跡



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百年公園側から 妙見島跡を望む


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名島海岸 の 夕日




神功皇后の三韓征伐の時も

豊臣秀吉の朝鮮出兵の時も

この島の 北辰妙見の神は

この国の行く末を じっと見守って くれていたのだろう












by nonkei7332 | 2014-11-09 05:42 | 古代史 | Comments(0)