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《 磯 良 の 海 》

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磯良の海に想いを寄せて

西行 という男


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時は平安末期

容姿端麗で 将来を大いに嘱望された 若武者がいた

本名 「佐 藤 義 清 (よしきよ)」

藤原氏の家系を継いだのが17歳でした
兵衛尉(ひょうえのじょう、皇室の警護兵)となり
御所の北側を警護する 精鋭部隊「北面の武士」に選ばれ、
同い年の 平清盛 は 友人でもあります
北面生活では歌会が頻繁に催され そこで 義清の歌は高く評価されます
武士としても実力は一流で 疾走する馬上から的を射る
「流鏑馬(やぶさめ)」の達人でもありました
しかし 義清 22歳の若さで出家し 周囲を驚かせてしまいます
死が日常の戦国の世の中で 阿弥陀仏の極楽浄土が西方にあることから
「 西 行 」と名乗り 現世の執着を捨てるべく「西方への道 」「死への道」を選んだのでした

【 近世初期成立の室町時代物語「西行の物かたり」には 御簾の間から垣間見えた女院の姿に恋をして 苦悩から死にそうになり 女院が情けをかけて一度だけ逢ったが「あこぎ」と言われて出家したとある この女院とは 白河院の愛妾にして鳥羽院の中宮であった 待賢門院璋子です】


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NHK大河ドラマ「平清盛」で 藤木直人 扮する 佐藤義清(西行) と
檀れい 扮する 鳥羽天皇の中宮で崇徳天皇の母 待賢門院(たいけんもんいん)



私が 西行 に惹かれるのは
執着を すべて捨てたようで しかし どこか悶々としながらも
桜を詠み 月を詠みながら 徐々に 人生の極みに近づいていく姿
列についていけない者の悲哀を 決して周りには見せず かと言って
漂泊の人にもならず 生臭い世俗にも満ちた ふてぶてさも
兼ね備えた人でもあったことです
そして 生涯の 憶い女(ひと)を 死ぬまで 恋した人でもありました



《 好きな歌を四首 》


《 世を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人をぞ 捨つるとはいふ 》


(訳) : 出家した人は悟りや救いを求めており 本当に世を捨てたとは言えない
出家しない人こそ自分を捨てているのだ



《 弓はりの 月にはづれて 見しかげの やさしかりしは いつか忘れむ 》


(訳) : 三日月の光をうけずに見た
恋しい人(待賢門院)の姿を生涯忘れることはありません


《 何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる 》


(訳) : 伊勢神宮で詠んだ歌だとある

(註釈) : とうてい 超えることができない 絶対的な何かが そこにあって
ただ 「かたじけない」という 神に対して
最も人間らしい言葉で 首を垂れる その姿に
感動さえおぼえるのは 私だけでしょうか



《 願はくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月の頃 》


(訳) : 願わくば2月15日ごろ、満開の桜の下で春逝きたい

(註釈) : 西行が来世へ旅立ったのは 73歳の 2月16日
如月の望月とは 2月15日の釈迦の命日 であったので
釈迦の後ろを一日遅れてついて行ったと言われている


自分の 最後の 死の姿までも 演出しぬいてみせた 悟りの人でもありました


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by nonkei7332 | 2014-10-08 11:58 | 古代史 | Comments(0)

by ヒサミツ