ブログトップ

《 磯 良 の 海 》

hisamitsu.exblog.jp

磯良の海に想いを寄せて

〈 祝い目出度 〉の 話



b0325317_14562364.jpg



博多の祝い唄 《祝い目出度》は 祝いの席で唄われます。

一、 祝いめでたの 若松さまよ 
若松さまよ
    枝も栄ゆりゃ 葉も繁る

  【エーイーショウエー エーイーショウエー
   ショーエ ショーエ ションガネ
   アレワイサソ エーサーソー エー ションガネ】

一、 こちの座敷は 祝いの座敷 
祝いの座敷
    鶴と亀とが 舞い遊ぶ
  
一、 こちのお庭に お井戸を掘れば 
お井戸を掘れば
    水は若水 金が湧く
   
一、 さても見事な 櫛田の銀杏(ぎなん) 
櫛田の銀杏
    枝も栄ゆりゃ 葉も繁る
    
一、 旦那大黒 ごりょさんな恵比寿
    ごりょさんな恵比寿
      でけた子供は 福の神
    
一、 あんた 百まで わしゃ九十九まで
    わしゃ九十九まで
      ともに白髪の生えるまで
    

さてさて この祝い唄 いったい 誰の事を唄ったものなのかを
私なりに 考えてみました
謎解き キーワードが 五つ

〈若松様って誰?〉
昔 仲哀天皇 と 神功皇后 が熊襲征伐に筑紫国においでになった時
洞の海に差し掛かったころに岡県主熊鰐の奏上によって天皇は外海を、
皇后は内海を進まれることになりました。ところが 洞海湾へ向かう皇后の御船が進まず、 武内宿禰 が漁夫に海中を調べさせたところ「海底に光る石」が見つかって、天皇に献上しました。
ご覧になった天皇は「これは海童(えびす)神の心なり」と仰せになられて、
この霊石をお祀りしたのがこの恵比須神社の始まりなんだそうです。
その後 武内宿禰 はここを訪れて 歌をうたいます
「 海原の 溟たる松の青々たる わが心も若し 」
広く青々とした海を背景に青々と繁った松の木を見ると、私の心も若々しくなりますという意味です、そこから若松という地名が興りました
北九州の 若松恵比須神社の由来と若松の地名の由来から

若松様といえば えびす様のことであり

武内宿禰 のことでもあります


b0325317_14475723.jpg
若松恵比須神社




〈こちの座敷 こちのお庭ってどこ?〉
この二番と三番の歌詞から わかるのが
こちの座敷とこちのお庭が同じ場所にあるということです
その場所で鶴と亀が舞い 井戸から 若水が湧き 金が湧く というわけです
この場所とは 香椎宮 のことです
香椎宮は 仲哀天皇が祀ってありますが
神功皇后と武内宿禰がお側でずっと仕えられておら れました
境内側の 武内宿禰の屋敷の庭には 不老水 と呼ばれる 井戸があり
宿禰は 毎日 この水を汲んでは 天皇と皇后のお世話をしたといいます
天皇に仕える水を 若水 といいます
鶴と亀とが舞い遊ぶとは
天下泰平、国家の長久を祈念して舞う『鶴亀』(つるかめ)という
能の演目 のことで 香椎宮で舞われたのでしょう

b0325317_15423732.jpg
香椎宮



〈櫛田の銀杏〉
恵比須神社 や 武内宿禰 に関係する神社には ほとんどの神社の境内には
銀杏(いちょう)の木が植わっています 何故かは わかりませんが


b0325317_15470371.jpg
櫛田の銀杏


〈旦那大黒 ごりょさん恵比寿〉
東公園の中に 十日恵比須神社があります
祭神は 事代主命(えびす様)・大国主命(大黒様)
大黒様とえびす様は夫婦ともいわれています

さて ここの 十日恵比須神社の由来については
天正19年 (1592年) の話 武内五右衛門という 御老人
神功皇后の三韓征伐の 武内宿禰の末裔で 香椎から博多にでて魚類を扱っていた
それがために 漁の神様である 恵比須様を信仰すること すこぶる篤い老人であった
ある日 朝早く 博多の海岸にでて恵比須様を拝していると 潮先に漂う木片があり
古下駄でも浮いているのかと思って拾い上げてみると 豈図らんや
それは 高さ六、七寸の男女二体の、彩色の施してある恵比須の神像であった
これは 本家出雲の国 三保の関の恵比須堂が 高潮か何かで打ち壊され
その御神体が 遥々漂流して来たものに違いない と深く信じて自宅に持ち帰へり
石の祠を造って祀ったという
その後 崇福寺の北側に 松原恵比須という 小社を建てたが
明治になって 東公園に社殿を移し 十日恵比須神社と合祀して 今日に至るという

武内宿禰 ここにも 現れました


b0325317_15040528.jpg
十日恵比須神社


〈白髪〉
白髪は 白髭ともいえます
白髭といえば 神話の中では 300歳も生きた 武内宿禰 が頭に浮かびますね
明治時代には 日本銀行券の紙幣肖像にもなりました
真っ白なお髭でした

ここでも 武内宿禰 ですね


b0325317_12133890.jpg
小島与一作 武内宿禰




櫛田神社 の 祭神の真ん中におられるのは 「 大幡主大神 」です
謎の神様でした
(詳しくは 当ブログ 「おくしださんの謎」
先日 武内宿禰を祀る 宗像市の 「 織幡神社 」に行って来ましたが
「幡」が重なって 妄想が繋がりそうでした


b0325317_15355502.jpg
織幡宮


「大幡主大神」って 「武内宿禰」?

それとも 織姫で 繋がって …… 瀬織 … ?

謎が 謎を呼ぶ 若松様よ !




by nonkei7332 | 2014-09-27 15:10 | 博多ルーツ | Comments(2)
Commented by ぱら at 2014-11-06 00:33 x
磯良の海さんこんばんわ( ´ ▽ ` )ノ

はばーないすでいと願掛け参らせ忝なく無事吉備路より帰ってまいりました。吉備路磐座山中上へ下への膝栗毛。筋肉痛のお土産が余計でしたがいつもこれを忘れて次を企みます。ええ都合の悪いことは忘れて良いお年頃になりました。

あてくし遠賀郡芦屋町基地ゲート前で生まれましたが、ご幼少は若松恵比寿がお庭でござ候。
昔々日本が戦争に負けた後のお育ち故GHQのご意向もあってか神話は語り継がれなくなってきた頃が育ち盛り。地域の昔話も 昔ある武将が船で行くとき船が進まなくなったのを訝しがり海中を望めば光る石。拾い上げて祀ったところ無事な運航。ご利益まちがいなかるべし。と、パンフレットにありましたよーええ アニメ日本昔話の頃のおとぎ話の扱いでしたよ。神功皇后だ三韓征伐だ竹内宿禰の事だとはつゆ知らず。昨日今日調べ出して あーらびっくり。そんな事だったのね。追っ掛けで追跡追体験ナウです。あ!いつもお買い物に行くコストコの裏にも黒男神社。
特にあてくし竹内宿禰目線で歴史を紐解くのがしっくり来るのでハマったわけでして、、、
銀杏もそうだし何故 黒男とか黒崎とか黒がつけば彼なのか?とか。。。黒尾の山下影姫は彼の母親 黒尾神社にも銀杏の木はありましたぞ楠と銀杏は何処に行っても植えてあってラウンドマークですかね。
恵比寿と言えば、黒と言えば、幡と言えば、鉄と言えば、銀杏と言えば、、
彼を指し示す。
花崗岩は鉄 真砂土は粉々になったものこれも鉄 そしてどこの神社にも池 川 水そして太陽
何か根元的なパズルのピースが揃ってきた様なんですよ。楽しみですね。
Commented by nonkei7332 at 2014-11-06 15:03
コメント ありがとうございます。そして お疲れ様でした。
〈老い〉から 逃げてはいけません 〈老い〉は楽しむものです ??
小学校の五年の時に できたばかりの 若戸大橋 に 課外遠足で行きました
それ以来 若松の街は 大好きで よく 北九州に行くと 橋を渡って 海岸通で
サボっていましたね
パラさんは 追体験 が出来る 能力(脳力) がお有りですね いつも 羨ましく思っています
私めも 何とか 末那識 や 阿頼耶識 の 領域を 覗いて見たいものだと 思いますが
いやはや 日常は 五感の世界 に 振り回されております
武内宿禰 この人こそ 古代日本のキーマン なんでしょうね
我家の先祖は 野見宿禰後胤 となってまして いろいろ 調べて見たんですが
あちこちで 武内宿禰 とダブってしまいます
何せ 垂仁天皇紀 そのものが クエスチョン? ですからね 創られた人物なのかもしれません
最近 能楽 の ワキ の存在について 考えています
また いろいろ 教えて下さい。