能古島(のこのしま)
博多湾に浮かぶ 能古島に
韓紅(からくれない)の夕陽が落ちていく
つきせぬ波のざわめく声に 今夜は眠れそうにない
浜辺におりて裸足になれば 届かぬ波のもどかしさ
僕の声が 君に届いたら すてきなのに
井上陽水は この島を片想いの島にしてしまったが
多くの若者達 は この島で一日を遊び
そして 散りゆく花を惜しむように
短い春の中で 恋に落ちていく
《 沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ 》
(万葉集16巻3866)
〈訳〉: 沖に棲む鳥の鴨という名の船が帰って来たら
也良の崎守りよ、早く知らせておくれ。
也良の崎守りとは 能古島の東端の 也良岬にあった
防人(さきもり)の駐屯地のことである
この歌は、対馬への防人の食料運搬中に遭難した
志賀島の船乗り・荒雄の死を悲しみ
筑前守 山上憶良がつくった 歌だといわれている
《風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の亭に 数多夜ぞ寝る》
(万葉集15巻3673)
〈訳〉 : 沖では風が吹いて白波がたち、
この白波が恐ろしく能許の泊りに何日も泊まっている
天平八年(736)、新羅を目指した遣新羅使一行は、
筑紫館(後の鴻臚館)を出発したが 荒れ狂う海の前に
韓亭(別称能許の亭、現在の唐泊)で
何日も風待ちの不安な夜を過ごしたという
写真は香椎かもめ大橋の上から 能古島を写した
夕暮れの海三景である
海神の海に横たわる この島はいつも美しい
多くの悲しみと祈りを 紅く染めて
やがて 磯良の海は静かに 夜の帳(とばり)に下りていく